明治村 新緑


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新緑の頃、山を歩くことほど気持ちの良い季節はありません。
花の季節は過ぎますが、新緑の瑞々しさと暖かい日差しの中を明治の空気を感じながら歩くのも本当に気持ちが良い。

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この季節、もともと、丘陵地帯にあるこの村は全村が緑に包まれます。
村内の池にかかる「天童眼鏡橋(明治20年)」、その向こうの「川崎銀行(昭和2年)」も緑色に染まります。

天童では、「多嘉橋」と呼ばれました。
幅7.7m、長さ13.3m、美しい半円二連アーチです。



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緑の「内閣文庫」、
明治44年に皇居内大手門内に建設された内閣文庫庁舎のうちの本館事務棟です。
本格的なルネサンス様式のデザインで、明治期の教科書的な作品だそうです。いかにもという感じ。
正面玄関の4本の円柱がそれらしい雰囲気を醸しだしています。
設計は大蔵省臨時建築部の大熊喜邦によるもので、その後 昭和11年には国会議事堂を指揮しております。
そんな面影も見ることが出来ます。

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「金沢監獄中央看守所」です。
木造桟瓦葺で外壁に洋風下見板を張り、窓には上げ下げ硝子戸を建て込んでいる。

「正門」はなかなか迫力があります。
煉瓦造りに石の帯状装飾を入れるのは、当時(明治20年)の洋風建築のはやりさそうだ。
左右に二階建ての看守塔を構え、窓も小さく鉄格子があるなど厳めしいのですが、美しい。

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村内にはいろんな乗り物があります。
手軽なのはバスです。たのしい車掌さんの解説付きでたくさん走っています。
名前もハイカラ号、写真はハイカラ3(はいからさん)です。(笑)
大好きな江戸洋式の芝居小屋「呉服座」の前、緑のトンネルを掛け抜けます。




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蒸気機関車です。「陸蒸気」と呼ばれた時代。
汽笛一声新橋を〜♪で明治7年(1874年)鉄道開業当時にイギリスから輸入されたものの一つです。 長さ7,995?、重さ運転整備時21.43t!
昭和初期生まれの父がよく、この曲のレコードをかけていたので、頭にこびり付いております。
私が小学校低学年の頃は、まだ奈良の山奥では機関車が走っておりました。
これは、ほんの140年前のものにすぎません。時速数十キロで走っていた陸蒸気、はや新幹線は時速300kmを越えました。
2020年代には、500kmを越えるリニアが登場します。

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京都市電です。
明治14年ドイツで初めて電車が営業されましがたが、日本では京都が最初でした。明治28年。
京都駅近くから伏見までの約6.4kmを駆け抜けまたそうです。
今も市電というか、通称ちんちん電車が京都の一部を走っておりますが、このタイプはもうない。
また、昔話ですが、小学生の頃、京都にはまだこのタイプに近い市電が走っていました。
夏の暑い時期、一番前でかぶりつきで流れる景色を眺めていました。 小さい虫がビシバシと顔にあたってうっとおしかったことをよく覚えております。

市電の奥には「北里研究所本館・医学館」です。
八角尖塔を戴く木造2階建て、日本の細菌学の先駆者 北里柴三郎が大正4年に建てられた研究所の本館です。
北里氏が学んだドイツのバロック風を基調とした洋風建築物です。

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入鹿池も緑に包まれています。
岬の突端に見えるのは「宗教大学の車寄せ」です。
高さは6.9mもあり、本来はその後ろにバロック風の左右に教室の翼を広げた立派なものだったそうです。

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入鹿池は機関車にしても、市電にしても、私が幼き頃を過ごした昭和の高度成長期まで残っていました。
明治に起こった日本版産業革命期の名残りを体感できていたわけです。

第二次世界大戦後、急激な技術革新で時代がおそろしいスピードで進んでいます。
スピードが速くなっていくほどに、そのスタートダッシュとなった明治期を切り取って残しておくことの意義を噛みしめます。







平成25年(2013年)6月2日<記> 出典:明治村のパンフレット/ガイド
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