明治村 梅雨


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いやおうなくやってくる梅雨のシーズン、この村のオフシーズンかも知れません。
雨が降ったり曇っていたり、雨や曇りを楽しむと思えば、それもまた楽しい。
アジサイが曇りに映えます。

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梅雨の平日の朝だと、ますます人がいません。
一人でこんな日にこの村を歩くとちょっとわびしいですが、今日は妻と歩けばそれなりにデート気分で歩けます。(笑)
そういえば、そんな若いカップルでなく、人生の機微がある程度分かるカップルが目立つような気もします。
そんなシチュエーションが似合うシーズンなのです。

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高田小熊写真館です。明治41年上越市にありました。
銀板写真とよばれる技術は1840年代に日本に渡来し、明治時代においては写真術は高度な理科科学の知識と修練を必要とし、写真師は文明開化の花形職業でした。

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創業者の小熊和助は、越後高田という豪雪地帯で写真館を開業して、2階に撮影室を造りました。
当時もっとも苦労したのは、人工照明がないので、外光をいかに取り入れるかでした。
この撮影室も右側が全面ガラス張りなどの工夫がされています。
この曇天下でもこの明るさ! さすがです。

高田は日本スキー発祥の地でもあります。オーストリア陸軍のレルヒ少佐が初めてスキーを教えた様子も彼が撮っています。
この写真館にも彼は訪づれたんでしょう。
そうおもって眺めていると係の女性が「お二人の写真をここで撮りましょうか?」と申し出ていただきました。
「恥ずかしいから…」と妻が断ってしまいました。
次回 こんな空いている時があれば、今度はこっちから撮ってくださいと申し出ようと思っています。(笑)

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曇りの為か、汽笛の響きが大きく聞こえます。

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この煉瓦造りのシンプルな建物は、「工部省品川硝子製造所」です。
イギリス人技術者による指導により、フリントガラスの製造設備にて食器用のガラス器を造っていました。

板ガラスの製造は難しいらしく、国産化に成功したのは、明治42年(1909年)だったそうです。





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内部は間仕切り一つない大空間でした。
今は一階にガラス工芸品を扱うお店とカフェ、中二階はガラス絵のギャラリーとオシャレな空間となっています。
雨の日ならば、ここでお茶して、明治に思いを馳せるのも良いかもしれません。



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真っ白な建物は「歩兵第六連隊兵舎」
明治政府は軍隊の強化を急ぎます。
軍事組織や訓練方法だけでなく、軍事施設はフランス方式を採用しました。
この兵舎も本来の長さの三分の二になっていますが、フランスの建築書を元に造られました。

長方形の大変シンプルな建物ですが、耐震性・耐火性・断熱性にたいへん優れた建物です。



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長崎は雨だった~♪ 長崎居留地二十五番館、造船技術のマネージャーであるコルダ―さんの住んだ山の手にあった住居です。


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三方にベランダを廻らせ、各部屋に暖炉を配置するのが典型的な居住地の様式なのだそうだ。
東南アジアの植民地建築の影響を受け、軒が深くなっています。
強い太陽の光が部屋に入らないような工夫だ。

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梅雨といえばアジサイです。
雨が降る日は、傘をささねばならず この村を訪問する足が遠のきます。



が、この日のような曇りの日で、そう蒸し暑くない、 そんな日は、
アジサイを楽しみながら、二人で歩くのも、おつなものです。







平成25年6月28日<記> 出典:明治村のパンフレット/ガイド
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