明治村 雪景色
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雪が降りました。思い立って、雪の明治村を散策。
古い建物には“雪”が良く似合う。
「白色」と「黒色」のコントラストが良いのか? 「新しい」出来立ての雪と150年も前の「古い」時代とのコントラストが良いのか?
開村直後の村には人影はほとんどありません。
明治の商家がならぶ2町目の通りも静かです。
正面玄関前を入ってすぐ左にある「鉄道局新橋工場」と「二重橋飾電燈」があります。
鉄道局新橋工場は明治22年建設、客車や機関車の国産化の進展とともに、鉄道施設の国産化がすすめられた工場です。
鉄骨の柱に屋根は銅版で葺かれており、図面はフィート・インチを使ったものだそうだ。
建物が白いので、雪の白と見分けがつかなくなっています。見ているだけで寒くなります。
その横には、皇居正面前の二重橋にあった「飾り電燈」です。
明治の始めはガス灯だったが、明治11年には初めて日本に電燈がともされた。明治12年にはエジソンが発明したフィラメントを使った白熱灯になったそうです。
明治21年の皇居造営の際に、麹町に発電所ができて、この飾り電燈をはじめ皇居内に明かりが灯ったようだ。
明治21年(1881年)ドイツ製、雪の白と緑が良い。こった造りとシンプルな雪との対比がおもしろい。
本格的な洋式の大病院は軍隊によって建てられました。明治6年の東京を皮切りに順次建築が進み、名古屋のこの病院は明治11年に建築。
木造平屋建浅瓦葺で、周囲に廻らされたベランダは大変開放的で明るく清潔感にあふれた印象です。
デザインはシンプルで、手摺などには素木に少しの面取りを施すのみで、窓の額縁も曲線を使わず単に段切りをしているだけ。シンプルはいいです。時代を感じさせない。
中庭から吹き込んだ雪が渡廊下を白くして、古い木の廊下の黒と対照的で良いです。
フランシスコ・ザビエルを紀念して、彼が昔いたことのある京都に献堂されたカトリックの協会です。
煉瓦造りと木造の供用で、内側の柱や小屋釘は木造で、内外の壁は漆喰造り。
身廊と側廊からなる三廊式で、前に玄関を張出し、内陣には聖具室を配置しており、典型的なゴシック様式となっている。
ステンドグラスは色ガラスに模様を描いたもので、外には透明ガラスを重ねて保護されている。
東のステンドガラスから朝日が差し込み、色とりどりの光が室内に射しく込みます。
冬の朝だからこそ、見ることができるこの光の陰影です。冬の幻想。
ちょっとした高台に、菊の蔵酒造があります。
明治初年頃の三河にあった和風瓦葺の酒の仕込み蔵です。
おおきな伝統的の木造造りで、外壁は黒板で覆われ、窓も小さく、外からの陽が入りにくくしているのでしょう。
それが故に、要塞のような雰囲気となっています。
雪の垣と黒い高い壁、これまたなかなか良い。
呉服座です。この江戸時代の風情が残る芝居小屋は好きです。
構造は木造2階建杉皮葺き、
自然素材の上の雪は残るのでしょうか、手前の松と伴に撮るとこれまた絵になる風景。
今にも芝居を見終えたお客様が出てきてもよさそうな、そんな明治の風景が見えてきます。
三重県師範学校、先生を育てる学校です。明治21年に建てられました。
写真は中央の玄関をはいった裏側の庭の様子です。
懸魚(げぎょ)にも洋風の雰囲気が漂い、うらの庭との関係がたいへん絵になります。
奥には教室もあります。
“黒板”はまさに黒い板、二人掛けの木製のイスと机。
小学校の低学年用で、とても座ることができません。
でも、私が小学校の頃はまだ一部に木製の校舎で木製の机と椅子でした。
よく机に彫刻刀で穴をあけて、消しゴムのカスを入れ捏ねて丸っこいボールを作ったものです。
もちろん昭和の高度成長期の頃のことです。
入鹿池と広場とシアトル福音協会。
明治40年頃、アメリカのシアトルで日系一世が住んでいた家です。
第二次大戦でこの人は強制収容され、戦後は日系一世の為にカトリックの福音協会となっていたようです。
一世の高齢化と人口減少の中、昭和59年に明治村に移築されました。
数奇な運命をたどったこの家も、この明治村が“終の棲家”でしょうか。
雪の降らないシアトルから、雪景色の明治村へ。入鹿池を望みます。
雪の広場にたたずみながら、入鹿池を太平洋に見立てて、はるか日系移民に思いを馳せます。
距離にして1万Km、時間にして100年…。
平成25年2月3日<記> 出典:明治村のパンフレット/ガイド
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