大鹿村 鳥倉山〜山は文化だ

空と雲と山歩き>山歩き>大鹿村 鳥倉山


画像

画像

画像


南信州 大鹿村の上座(わぞ)地区 福徳寺前から鳥倉山を望む。
福徳寺は、国の重要指定文化財に指定されている薬師如来座像や阿弥陀如来坐像が安置されている歴史あるお寺。
深山ではあるが緩斜面であることで古くから集落があり、南へ向かえば東海、東は関東、北へは諏訪と道がつながっていた。
「南朝の道」と呼ばれた時代もある。
南北朝時代は後醍醐天皇の皇子である宗良親王もお住まいになっていた。劣勢が続く南朝方も逃げ込んでくることもあったらしい歴史のある郷。
大鹿村は300年の伝統がある大鹿歌舞伎が有名だが、江戸時代の歌舞伎興行の伝承が由来らしい。
ここからも古くから日本の東西につながる道の拠点であったことが伺える。

画像 画像


ウオルター・ウエストンが赤石岳に案内を連れて登った際の基地にもなっていた。1892年(明治42年)8月11日。
ご本人、日本山岳会の小島さん、複数の強力…外套を羽織っているのは警官?にもみえる。
彼の山頂での写真はあまりなく貴重なもの。
それを所有している方曰く、お父様が第二次大戦中のインパール作戦に出兵する際に、大事なものだからと渡された形見の中から発見したそうだ。 
これだけの高山での記念写真にきちっとした服装をしている。写真用に着替えたのだろうか。
この時代、山頂で記念撮影をするというのはなにか儀式みたいなものがあったのかもしれない。
登場人物の服装を見ているだけで飽きない。アルピニズムの文化を感じる。

画像 画像


少し標高を上げて登山口の近くに夕立パノラマ公園がある。
ちょうど紅葉がピークで、眼前に迫る南アルプス南部のスターが良く見える。
登山時の待ち合わせ場所がここだったので、しばしの間堪能した。

西側(写真の右側)には中央構造線という九州から続く大断層が走り、様々な付加体の地層が交錯しているこのエリア。
ここに「緑色岩」という玄武岩質の変成岩の露頭がある。
はるか太平洋のポットスポットという海底火山から噴出して玄武岩が熱編成を受けたもの。緑色が印象的。
おおよそ6000万年前の旅の痕跡。

画像 画像


(やっと)鳥倉山に登る。標高2023m、西暦の山!
このあたりの山は植林というとカラマツらしく、ちょうど黄葉が美しかった。
歩いた仲間は、総勢8人ほど、登山家の大蔵さんが企画者で地元の方2名にご案内いただき、ほとんど道がない登山道を歩いた。

画像 画像


標高は高いので、植林のカラマツ以外ではシラビソが目立ったが、落葉樹ではカバノキが目についた。
代表格はダケカンバ。落葉が終わっており、幹がすっくと立つ姿が、太陽があたり、幹が銀色に美しく輝いていた。
写真ではあの輝きが表現できていないのが残念。

オノオレカンバ:カバノキ科カバノキ属・・・斧が折れるほど堅い。
初めて見た。葉っぱはイタヤカエデが横から出てきている。
でも図鑑で探すと、この異常なはがれ方は「ヤエヤマカンバ」ではないのかと疑っているが…地元の方がそうおっしゃるのでおそらく間違ってないのだろう。
どちらにしても見たことない樹皮で感動した。

画像


上蔵地区に住んでおられるМさんと会話を楽しみながら歩く。
自然のことを実によくご存じだとおもっていたら、もう20年もこの地に住まれている。
「俺は百姓だから役に立つ樹木の名前しかしらない」といいつつ、オノオレカンバのことを教えてくれる。
朽木に生えてるキノコを、「あっ」といって速攻でもぎ取り、食べた。おそらくクリタケと判断したと思われる。
「それはニガグリダケで、毒じゃない」と言われても「大丈夫 私はキノコにあたったことがない」とおっしゃる豪傑ぶり。
普段から自然と共にこの地で生活なさっていることが、その言動からよくわかった。

画像 画像


多少道に迷いつつも、1時間強で山頂に到着。
標高は2023m。
今年の山、西暦の山。たまたま南アルプスのこの地で出くわした。
山頂は南アルプス側は切り開かれていて展望が良い。
ダケカンバ、シラビソ、カラマツの植林越しに、悪沢岳…赤石岳(正面)…聖岳も顔を覗かす。
名だたる南アルプスのスターを眺めながら
この山裾での暮らす人々の物語を深山での暮らしや文化に思いを馳せた。


このお山の他にも、大蔵さんの活動拠点の「木沢小学校」、有名処の「下栗の里」、遠山川を走っていた「森林鉄道」試乗会など盛りだくさんの歴史と文化拠点を歩く。
このエリアで、多くの人が関わる長い歴史と今も生きづく文化を再認識。
画像 画像


2023年10月28[登山日]  11月18日[記]

現在地:空と雲と山歩き>山歩き>大鹿村 鳥倉山