城崎 東山【40m】
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城崎(きのさき)は、関西では屈指の名湯です。
2012年4月29日から4月30日まで家族一泊旅行でした。
江戸時代の温泉番付けでは、西の関脇(大関は有馬)、温泉が発見されたのは717年の養老元年です。
場所は、兵庫県の北、京都府側にあり、ほぼ日本海側にあります。
温泉街は七つの外湯を中心にできていて、たいへん旅情豊かな、端正な温泉街です。
<鴻の湯:1400年前の最古の湯>
<御所の湯>
日が暮れてからの温泉街はまた風情があって…
<一ノ湯>
<柳湯>
この町での“正装”は浴衣と下駄です。 実に風情があるんです。
歓楽街もなく、日本海の幸と温泉を楽しむだけの街。
朝でも夜でも、浴衣にカランコロンと下駄の音が町中に音が響いています。
各時代を通して賑わったこの温泉、
明治以降も著名な文人が湯治などに訪れています。
島崎藤村 ・田中冬二・与謝野寛・晶子・有島武郎・山口誓子・吉井 勇・徳富蘆花・斎藤茂吉・日野草城・泉 鏡花・柳田国男・・・。
幕末に桂小五郎が新撰組に追われて城崎温泉に逃げてきたこともあり、それを「竜馬が行く」の執筆に司馬遼太郎さんも逗留しています。
もっとも有名なのが、「城崎にて」の志賀直哉さんです。
山手線で事故に遭い、治療の為に3週間滞在しました。その時に書き上げたのが「城崎にて」、随筆です。
非常に短いのでこれを機に、久々の再読をしてみました。
“一人きりで誰も話し相手はない。読むか書くか、ぼんやりと部屋の前に椅子に腰かけて山だの往来だのを見ているか、それでなければ散歩で暮らしていた。”
なんて、記述がありますから、一人で思索にふけっていたのでしょう。
何気ない逗留の中で、蜂や鼠、井守(いもり)の死をたまたま見かけます。事故で死にかかったこともあり、小動物の死を目の当たりにして、改めて“生”を見つめる作者の思いが、綴られています。
温泉の河口側(東側)に、東山という丘があります。50mにも満たない丘です。
「城崎にて」にも登場します。文脈からすると著者も歩いたと推測されます。
丘の上に展望台があるというので、私も朝食の前の湯の前に、散歩がてら歩きました。
日本海側ではありますが、もう雪はなく、新緑がまぶしい。
丘の上は平らで、公園のようです。(名前は東山公園です。笑)
山頂から南側(眼下は城崎温泉駅)
北側 (あの緑の向こうは日本海)
西側が城崎温泉です。 街の真ん中に川が流れ、柳の回廊がうねうねと…
志賀直哉さんは34歳の時にこの作品を書いたようです。
その若さで、それほど死を意識するとは・・・よほどの大事故で死を意識したんでしょうね。
私には、この丘の上からみる山々は、新緑がまぶしく、 “生”への息吹を感じる景色でした。
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