姫越山の物語
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南紀州大紀町 姫越山を歩いた。2度目。
冬の山は北に行けば雪がある。年齢を重ねてくると暖かい方が魅力的になる。あとで気が対が、2回目も1月6日だった(笑)
因みに、この日は寒の入り。先回は山頂で雪がハラハラしていたが、今日は小春日和のよき一日。
4年前(2019年1月)は、山頂往復だけで海の砂浜に下りていないので、今年は海まで行きたいと急に思い立ち、再びこの山へ。
山歩きのコース案内はやめて、物語に重心を置く。紀勢町の昔ばなしHPがベース。
源平合戦の頃らしい。
伊勢のお姫様が、追われて南紀に逃げていた。木曽義仲の娘とも北畠一族ともいう説もある。
お付きに老武士もいた。
お姫様は「爺」と呼んでいた。
姫は伊勢から山頂を超えた辺りで、疲れ果て、「水を・・・」と呼んでその場に座り込んでしまった。周りは鬱蒼として常緑のウバメガシの森の中。
爺は慌てて、手持ちの水筒(竹筒)を差し出すが水がない、
急ぎ麓に下りていき、必死の思いで登り返して、姫に水を差した。
すでに姫は息を引き取っていた。
呆然自失となる爺。
十分な水を用意しなかった事、姫を死なせてしまった事を懺悔して、爺は自害した。
近くには「爺塚」もある。
姫塚から数分離れている微妙な距離にある。ここが自害した場所か。姫との距離は何を意味するのか。
すでに亡くなった姫君に、自分の姿が見れない距離感か
錦(登山口)の村人は、それから「姫越山(ひめごやま)」と呼ぶようになったという。
姫は山を越えているので、山頂からの景色は眺めたはず。
水が枯渇したのなら、季節は夏場だろうか。キラキラ輝く、この熊野灘をみたことだろう。
確かにこの山の稜線には水がない。
それから村人は、この塚にお参する際には水をたくさん持っていくらしい。なかなか良い話。
錦の登山口の近くで、会ったおばあさんがいた。
ニコニコしながらを「山を歩きなさるかね」「一人かね」と話しかけれきたので、「冬でも暖かいこの山と海を眺めにきました」なんて世間話をした後に、歩き出そうとすると
「お茶持ってるか」と「持ってなければ、お湯を沸かせて持たせてやる」と言ってくださる。
何と親切な村のおばあさま・・・「ありがとうございます。持って来てます。」と感謝の言葉を申し上げて山へ向かった。
もしかして、姫越山を歩く=水を持っていく、という文化がこの里にはあるのか
こころ温まるもてなしの文化。
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先回行けなかった、芦浜池へ下ろうとするも、分岐を通り越してしまい・・・このところスマホのGPSの調子が悪い=地図を見る能力低下(笑)
錦まで下りてきてしまった。なんとか熊野灘をまじかに感じたいと、漁港を超えて登り返して、「塩浜」へ行った。
穏やかの波打ち際でしばし熊野灘を眺める。
山頂から眺めて熊野灘は、その先は太平洋がガバ〜と広がる。
源平合戦の頃、西には大陸があることは知っていただろうが、東の海の先がどうなっているのは判らなかっただろう。
おそらく千年ほど前も同じ海だったろう。
泥岩か砂岩の石は丸い。繰り返す波の満ち引きで削られたのだろう。そんな事を考えながらが海を眺めた。
最後に錦神社にお詣り。
登山の無事安全に感謝。
家族の健康と大病の友人の回復を祈願した。
登山口の駐車場に戻りがてら、集落の路地をぶらぶらしながら歩いた。
まだ正月のお飾り、伊勢独特の「笑門」お飾りが各家に飾ってある、漁村の街並み。
高齢者ばかりだが、道行く人は皆さん挨拶をしてくださる。都会では考えられない。
楽し気な二人の中学生が自転車で追い越していく。
ちゃんとこちらの顔をみて「こんにちは!」と元気よく挨拶してくれる。
やっぱり、挨拶というは気持ちを晴れやかにしてくれるなと、心がまたあったかくなって次の訪問地の松阪に向かった。
2023年1月6日[登山] 1月7日[記]
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