八風峠と三池岳【972m】
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2014年5月3日、天気が良かった。静かな山旅をと鈴鹿へ出かけました。
北伊勢の八風キャンプ場から「越の尾」尾根を歩き三池岳へ、八風峠を経て八風谷を下りました。
三池岳は竜ヶ岳と釈迦ヶ岳という鈴鹿セブンマウンテンに挟まれた小ピークで、静かな山歩きが楽しめます。
この三池岳のすぐ南に八風峠があります。
「伊勢風土記」によると、伊勢津彦(いせつひこ)は、
久しくこの伊勢の国を治めていましたが、大和政権の雨日別命(あめのひわけのみこと)に伊勢の国をゆずり、
「我は今夜、八風を起こして海の水を吹き波に乗りて東に行かむ」として、ここを通って信濃へいったそうな。
かっこいい名前ではありませんか!
尾張と都と繋ぐ路は、鈴鹿峠がメインの通り道でしたが、室町時代頃から、山賊の出没、合戦に伴う街道の荒廃、
関所の設置と通行税の徴収などにより減少しました。
そこで注目されたのが、近江と北伊勢を最短距離でむすぶこの道でした。
名前の通り、新緑の風が気持ちよく吹き抜けています。
この峠や付近からは、両側の見晴が良いのです。
近江商人も伊勢の海産物を、この道を使って近江や京都へ運びました
品物の運搬や警護のために大勢が隊列を組んで、あたかも砂漠を渡るキャラバンのような団体行動だったそうです。
きっと、麓にはたくさんの人や馬を構えていたことでしょう。
織田信長も幾度がこの道を・・・
永禄二年(1559年)八十名ほどの供を連れて上洛し、将軍足利義輝に謁見した織田信長は、
帰路近江から八風峠を越えたそうだ。
天正元年(1573年)にも、織田信長北伊勢攻略の際、近江勢が当峠を東に越えています。
八風峠からは渓谷を下る途中に、地蔵様がおられました。
近江商人が旅の安全を祈ったのでしょうか。
多くの賑わった峠越えも、特に東海道や中仙道の宿駅の整備、
信長による安土城下での楽市の開設と山越商人の禁止などによって衰退し、江戸時代初期の頃には歴史の表舞台から遠ざかってしまいました。
明治まで人々の生活道になっていたようです。
今は、普通の登山道です。それほど人にすれ違うこともあるませんでした。
新緑の季節、静かな山歩きが楽しめました。
たくさんの花を見たので・・・妻の誕生日に花を買いました。
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