ツェルマット

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■2008年8月4日(日)から9日(土)までツエルマットに居りました。
この村の名前を知ったのは高校時代です。
初めて作った1000ピース以上のジグゾーパズル「ツェルマットの夜」でした。


月夜に照らされ浮かび上がる雪のマッターホルン、村々の明かり、なんとも幻想的な雰囲気でした。
高校時代からワンダーフォーゲル部に入り、山歩きの楽しさが分かり始めた頃だった。

それから、約30年後、こうやってこの村に来て、長期滞在者用のアパートメントホテルに泊まり、幸い窓からはこうやって、そのマッターホルンを見ることが出来ました。




















ソファーに横になり、朝な夕なにこの山をぼ〜と眺める至福の時間をすごしていました。
この村からの眺めは格段にかっこの良い眺めで、山の右側が北壁。左側が東壁となります。
“旗雲”が有名で、東壁がこのように強い風による雲が湧き起こることが多いようです。
なんとも勢いの強い風で、登頂の際はそうとうの苦労があると予想されます。






夕焼けにそまるマッターホルンです。
昔、良く見たアルプスの少女ハイジが夕日に焼けるアルムの山をみて、「山が燃えてる!」と感動的に語っている名場面があります。
そこまでは行きませんが、私にはなんとも味わいのある北壁の染まり方です。
斜めにあたる陽のせいで、岩壁の凹凸が鮮明になり、よりこの山の険しさが強調されているようです。





ほぼ一日中、雲が山頂部を覆っている日がありました。
ふっとした瞬間に雲の切れ間からみえた瞬間。
まるで生き物のようにうごめいている山に見えます。








三日月と。
月がどんどん山に近づき、雲から出たり、消えたり。
満月だったら、もっと山がくっきりとしていたかもしれません。









この山、見る場所により姿を変えることでも有名です。
南に行くほど、東壁が迫ってきます。
真東からみると、ほど三角形で、とても見慣れた山には見えません。

この村、19世紀半ばまでは、アルプス超えの物流ルート上にある寒村であったそうです。
木造りの素朴な家、穀物倉庫には“ねずみ返し”なる石版をはさみその上に倉庫を造り大事な食物をまもっていました。

家畜とともに暮らす素朴な生活。

本当に“アルムおんじ”が「やあ、チーズはいらんかね」といって出てきそうです。








それまでの寂村であったこの村は、マッターホルンの初登頂を機会に劇的に変っていきます。
ヨーロッパアルプスの初登頂挑戦時代は1865年のマッターホルンで終わったとも言われ、その年はヨーロッパの近代登山史のターニングポイントであると同時にこの村のターニングポイントでもありました。
マターホルンへの挑戦は、1857年からイタリア側から15回、スイス側から3回、すべて失敗に終わっています。
1865年7月14日、ロンドン出身のエドワード・ウィンパーはダグラス卿のパーティ7人が初登頂でした。




この初登頂の物語は「切れたザイル」で有名なようです。 全員登頂の後、下山時に予備の細いザイルが切れ、4人が滑落して死亡したのです。 このザイル事件は裁判沙汰になり、結果この事件がチェルマットを有名にし、その後の観光発展の引き金になっていきます。ザイルが切れた事件、過失か否かを問うのは「氷壁」を思い出させます。








ウインパー登頂後、この村はマッターホルンや4000m級の山々への登山基地として発展します。
ケーブルカー、ロープウエイ、ゴンドラなどが施設され、スキー場が開設、観光化がどんどん進みます。
意外ですが、この村のハイシーズンは夏ではなく、冬のスキーシーズンです!
現在は、環境に配慮してガソリン自動車の乗り入れは一切禁止で、排気ガスのないクリーンな観光村に変貌しています。




家々も景観をたいへん重視しているのでしょう、ホテルもアパートも切り妻の木製、窓辺にはカラフルな花々が飾ってあります。








朝焼けのマッターホルンを見た日は、当然のことながら暗いうちから起きています。
はるかあの山からヘッドライトの明かりがピカッと時折ひかります。当然のことながら登っている人がいるわけです。
のほほんとベッドサイドから山を眺める私とまだ闇夜の4000m近い山の岩壁に張り付き生死をかけて登っている人がこんな至近距離に同時に存在する。
登攀家と観光客(ハイカー)、混在する混在することができる村。
規模こそ違いますが、上高地もこの村と同じような歴史を歩むかも知れません。
涸沢や槍沢までゴンドラが繋がり、展望台ができ・・・。
いやいや、やっぱり何時間も歩いて苦労した人だけが、見ることができる絶景は残してほしい。
あの日本一の紅葉、おでん(ちょっと落差が…)!
お金で絶景を買うのではなく、苦労してものだけに与えられる絶景も、是非残してほしいと思います。




最後の夜、「ツェルマット」の名前を知るきかっけとなった、「ツェルマットの夜」(ジグゾーパズル)のイメージに近い写真を撮ろう思い立ち、坂道を駆け上がり、ともかく写真を撮りました。
良く考えたら、夜景の撮り方を知らないことに気がつき、一人で苦笑しながら撮った写真です。
まったくぼけぼけの写真となってしまいました。(笑)
次回!?の目標ができました。










尚、右側の写真はネットで「ツェルマットの夜」を検索した結果、一番私のイメージに近いパズルを探しあてました。でもパズルは縦だったような気がするし、マッターホルンももっと月明かりに照らされていたような気がしますが、なにせ30年前のことゆえ。











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