モンマルトルの丘とオルセー美術館
■2010年3月7日(日)は天気が最高でした。はじめて日帰りでパリへ、丘歩き。その後、オルセー美術館へ再び。 「モンマルトル」、「モン」は「山・丘」で、「マルトル」とは「殉教者」という意味。 パリを囲む7つの丘のひとつで、丘の表層の地質は回りに比べて硬いため、侵食されずに残った残丘であります。 奈良盆地の大和三山(天の香具山なども)確か、残丘だったなあ。 標高は、なんと130m! パリで一番高い丘(最高峰!)です。 当然、パリのいたるところから見え、逆にいうとこちらからの見晴らしは最高のはずです。 さて、ロシュアール大通りにあるANVERS【登山口(笑)】から歩き始めます。 なんとなく登りです。 劇場など立っており、芸術のかおりがぷんぷんします。 もともとこのあたりは、ブドウ畑などの農地で、19世紀にナポレオン三世のパリ大改造のあおりを食らった市民が、郊外に移動を余儀なくされ、パリ市民の居住地になりはじめました。 まだ絵になる農村風景の残っていたモンマルトルには、芸術家も集まり、安いアパートやアトリエ、スケッチのできる屋外風景を求める画家達が後に続き、19世紀末の世紀末芸術の時代にはモンマルトルはパリ左岸のモンパルナスに対抗する芸術家の集まる街へと変貌した。 ゴッホ、ブリソー、マティス、ルノワール、エドガー・ドガ、ユトリロ、ロートレック、などなど。 さて、丘頂に建つ「サクレ・クール聖堂」が見えてきました。 ちょっとしたケーブルカーもありますが、そんな軟弱な道具は使いません! 最後の急坂である階段をウン百段上がると、到着です。ほんとうに青空がすばらしい。 「サクレ・クール聖堂」、ビザンチン様式の白亜の3つのドームはまばゆいばかりに白いです。 1871年の普仏戦争敗戦後、パリコミューンの崩壊で落胆する市民を鼓舞するため、40年の歳月をかけ、1919年に完成しました。パリの白亜のランドマークです。界隈は、芸術の街として、観光地として、賑わっています。 ハープを弾くおじさん。 最も有名なのが、このテルトル広場。画家、切り絵師、たくさんいたのが似顔絵描きの人たち。 ちょっと観光地化されすぎかな〜とは思いましたが、まだまだ芸術のかおりが漂います。 ふと見上げると、聖堂のドームは登れそうです。まだまだ歩きたりないので、あそこに登ることに。 5€払って、階段を駆け上がります。だれも、階段にいないので、狭い階段をぐるぐるぐるぐる、目が廻る。