コンピエーニュの森とピエールフォン城

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■2010年3月14日(日)、 立派な城を探して、中世の城らしい実物を見たくなりました。 「地球の歩き方」の隅っこに載っていた「ピエールフォン城」へ行くことに。
場所は、 ブラッセルの南西200km、パリの北東100kmにある「コンピエーニュの森」のはずれにあります。
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森も少し歩きましたが、ご他聞にもれず、シイやブナが林立する、なかなか立派な森です。 ここは、第一次大戦のドイツの休戦協定(事実上の敗戦)が森の鉄道路線の列車の中で、締結された地でもあるようです。 道標もブラッセルのソワーニュの森とは違い、凄く立派です。
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第二次世界大戦では、ヒトラーがフランスに侵攻して、勝利した際、フランスと休戦協定を再びこの地で締結します。 ヒトラーはわざわざこの地を指定したそうです。つまり、第一次大戦のお返しを同じ場所でしたかったんでしょうね。 今は、こんなに静かな森で、そんな二つの大戦の節目があったなんて。この道もヒトラーが歩いたのでしょうか。
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森を抜けると、「ピエールフォン城」が見えてきます。(歩いていません、森からこの村までは車で移動しています。)
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「ピエールフォン城」 1393年シャルル5世の第二子ルイ・ドルレアン(オルレアン公)によって造られた要塞です。
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オルレアン家とライバル関係にあったブルゴーニュ公領であるフランドル地方とブリュゴーニュ地方の交易の監視するために造られたそうです。
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1616年にはルイ13世と攻防が繰り広げられ、城は陥落し廃墟となります。
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その後、長らく廃墟でしたが、1810年にかのナポレオン1世が買い上げ、ナポレオン三世が臨時の居城として改造します。
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ナポレオン三世は、建築家ヴィオレ・ル・デュクに修復を依頼、デュクは中世に関する独自の建築解釈をして、この城をほぼ現在の姿にしたようです。
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ナポレオン三世というと19世紀後半の人物ですから、この城は決して古くありません。
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外観は、14世紀の軍事建築を忠実に再現しているようです。 ベルギーのお城も、いくつかみましたが、この城はほんとうに大きくて、“これぞ中世の城”っていう感じです。 ドイツのノイシュバンシュタイン城は、おとぎの国のお城ですが、これは、宮殿でなく要塞としての“本来の城”を感じさせます。
階段の飾り一つにもこだわりが感じられます。
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<騎士の間> かつての裁判の間で、ナポレオン三世は祝宴用にしたようです。
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オーケストラ用の大高壇もあります。
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<皇帝や皇后の部屋?> 壁の絵などはナポレオン三世の創作もあるようです。が内装は結局財政難の為、未完成です。
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<礼拝堂> 内陣の上方に高壇があります。ステンドグラスが美しい。大天使の軍神ミカエルも、さすが要塞。
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<装飾品> ほとんど装飾品はなく、あっても華やかでない、ライオンや鷹など、勇ましいものが多い。 ピシッと胸を張るその姿は、自分の姿勢をも正しくさせてくれます。
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<地下の棺室?> 立派な彫像と棺おけがたくさん納まっていました。いったいなんの部屋だろう?霊安室? 仏語のおどろおどろしい講釈が流れ、暗めの光で装飾して、一風変わった世界です。
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堅牢な要塞であることがもとめられた中世を感じることができるお城でした。 ヨーロッパの14世紀を感じたい方は是非、このお城へとその後ろに広がる森へ。
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