ワンダーフォーゲルがくれた「山のよろこび」

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かれこれ、40年以上山を歩いている。
始まりは高校1年生の時、仲間に誘われて入ったワンダーフォーゲル部。略称は「ワンゲル」。
ワンダーフォーゲル(Wandervolgel)とはドイツ語で「渡り鳥」、当初 活動の核は歌だったので、「さえずる」という意もある。同時に、「社会の固定された規範から自由でありたいという願い」が込められている。
1900年初めにドイツで始まった急激な近代化に対する「自然主義の高揚」が背景にある・・・らしい。(By ikipedea)
仲間に誘われて入ったのは事実だが、高校になってからは落第生だったので、そんな現実からの逃避もあったのかもしれない。

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顧問は鈴木先生、地理の教鞭をとっておられた。物静かで、博識で、感性豊かで、言葉のセンスというか詩的才能が抜群だったと思う。
ワンゲル部は、そんな先生が「歴史・文化・芸術・民俗学等々幅広い文化を探求しようという意図を込め」構想を練って出来た(「ありし日の鈴木先生を偲んで」)らしい。
思春期にであったこともあるが、その広範囲な知識や立ち居振る舞・物の考え方など、人生に大きな影響を受けた恩師となった。
一方で、そんな事を微塵も感じない、飄々として、やせたお体のどこにそんなエネルギーがあるのかと思うほどに疲れを知らない(見せない)方でもある。
そう"渡り鳥"のように歌っていた。今でも山を歩いていると、ふとその歌声を思い出すことがある。

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部活動のメインは週末に、「例会」と称して、ほぼ毎月 山を歩いた。フィールドは近畿の山。
ロッククライミングや危険な山歩きではない、地図をもって登山道を確認しながら、山を楽しむ、下った麓の里では神社や仏閣に立ち寄り、歴史や文化を考察する。
写真は京都の愛宕山にある空也の滝。
歩く前には愛宕山の歴史の勉強をして、麓の月輪寺や空也の滝について下調べをする。確か部室で事前の発表をしていた。
計画を練って下調べして、発表して、当日は実行する。終われば記録に残す・・・
いわゆるPDCA(Plan Do Check Action)の習慣はこの時に体で覚えたのかもしれない。

装備はたいしたことない。改めて見ると足元だけは登山靴だが、服装は普段気に過ぎない。右端のM氏が当時の山歩きのちゃんとした装備だろう。

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山の帰りにお寺には必ず寄った。鈴木先生が好きだったんだろう。
10人の写真は奈良の仏隆寺 室生寺の末寺、3人で写っているのは比叡山、4人の写真は唐招提寺。
高校時代の写真はさほど多くないが、お寺の写真が以外にあるのは気のせいか。

山川出版社の「歴史散歩辞典」「民族探訪辞典」がいつも枕元にあって、読んでいた。これは今も書棚に眠っている(笑)
お寺の来歴、山との関係、建築様式、仏像の見方(如来と菩薩の違いなど)などなど範囲は広く・・・浅い。
奈良時代や平安時代は芸術や造形技術の最先端は建築や仏像に現れる。
特に仏像は仏の世界を現生とは遠く離れた存在として作る必要があり、見た人が感じる「畏れ、驚き、喜び、慈悲の世界」をどう表現するのかを競って表現したに違いない。
その舞台演出も考えに考えた安置場所になっている。ちょっと薄暗い中におわす仏様は、まさに舞台演出そのもの。
その影響か、有名どころでは薬師寺の日光月光菩薩、個人的に好みなのは新薬師寺の12神将、初めて見た印象深い仏様は、今も好きな仏様になっている。

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夏は宿泊で高山を歩いた。最初の年は乗鞍岳【3,026m】、位ヶ原山荘から乗鞍岳山頂、高天原を通って野麦へ降りるロングコース、今は歩けない貴重なコースだ。
初めての3,000mの世界は夢の世界。
霧の中の登り始め、山頂到着時の感動、宇宙を感じさせる紺碧の空、見たこともない眩い美しいい高山植物・・・なにもかもが新鮮で感動的。
仲間と歩く、感動を分かち合い、苦労を共にして半減させてくれる仲間、お互いをリスペクトして困ったら助会える仲間。
山歩きの虜になったのは、このお山が原因だったかもしれない。

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そして、戸隠山【1,904m】、飯縄山【1,917m】。
戸隠奥社の荘厳な杉並木、山頂部にある蟻の戸渡のスリル・・・
乗鞍とはまた違うメンバーで、雰囲気の違う山を歩く楽しさ。

翌年は八ヶ岳だった。黒百合平から東天狗岳【2,640m】を超え、みどり湖、稲子湯まで歩いた。
翌日は飯盛山【1,643m】。平沢峠から南八ヶ岳の裾野の雄大さに感動したことを鮮明に覚えている。
たぶんそのあとに、当時はまだ未舗装の八ヶ岳高原ラインをひたすら歩いたと想像する。
とにかく長かった〜標高差はそうないが尾根と谷を等高線沿いに行き来する道で距離がとにかく長い。
先生は何を思ってか歌っている(笑)
果てしなく続きあの苦労を、車で通過するたびに思い出す。当時の写真がないのが残念。
高校時代はこの3つの山域を歩いたが、その苦しい思い出のせいか、八ヶ岳がお気に入りになった。八ヶ岳の優美な裾野にあこがれてその後、何度も訪問した。
願わくば、かの地に住みたいと思うほど。

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あっとゆう間の3年間。最後の例会は青山高原と決まっていた。追出し例会と呼ばれる。
当時は気が付かないが、思い起こせば「物の考え方が形成された3年間」、「先生に教わった事が今に生きる3年間」だった。
母親からは、山歩きに行くたびに「良い先生に出会ったね」と言われた。
子供が山歩きを通じて、あの先生の影響を受けながら人格を形成していることに気が付いたのかも知れない。

先生がなくなるのは、卒業した翌年の秋だった。年賀状を初めていただいた年になる。
その冬のお正月の印象を語る文章と温かい言葉が書かれた年賀状。それを手に取る度に、巡り合った幸せをかみしめている。

「高い空の凧。葉を落とした林。青い山。西風にのった白い雲。落葉焚き。山茶花の花。一面の雪化粧。南天の赤い実。琴の音に陽のあたる。」
「春には  笑顔で どうぞ」


高校を卒業してから大学になってからも、仲間との絆は続き、たくさんの山を歩き寺社を訪れた。月次の例会とまではいかないが、良く歩いた。
社会人になってからは、場所もバラバラになり、歩く道を大きく分かれた。が、ひょんなことからまた年に1度程度はあって夜の宴会と翌日の山歩きを再開するようになりそうだ。
先生〜まだまだ我々は山を歩いてますよ。

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2023年3月26日[記] 〜年を経て、ワンゲル仲間と新緑の季節に会うようなり、山を振り返る

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