国内出張って

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国内出張もたくさん行かせてもらった。
1980年代の後半の入社社当時は東京本社に月1回の定例会議があって、海外営業部門と打ち合わせ。
名古屋から東京へ新幹線、東京駅で山手線に乗り換えて、最寄りの駅まで最初は楽しかったが、なんども同じ行動を繰り返すとすぐに飽きた(笑)
名古屋の同じ建物から東京の同じ建物への往復、会議の時間は1時間・・・このお決まりのバターンの繰り返し。
帰りがけに何処かに寄って遊ぶことも出来たが、そんな余裕は当時はなかった。
慣れ過ぎで、財布を忘れて東京で気が付いたことがあった。
のどが渇いたので、ポケットにあったなけなしの100円でコーヒーを購入しようと思ったら、ちょどその頃に値上げで110円に変っていた。
コーヒーすら買えなかった遠い日の笑い話。
今思えば、時間の使い方が非生産的だった。

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たまに横浜に寄ることはあった。帰りに中華街で仲間と飯を食べるのが楽しみ。
あの小さいけどうまい餃子を出す飯や、まだあるかなぁ。
数年で名古屋から本社の企画部署へ異動となったが、国内出張はまだ東京が多かった。
海外関係の企画にあたって、調査やベンチマークするという目的で、いろんな会社様を訪問した。
商社、保険会社、船会社、輸送会社、同業他社、お役所などなど、業態が違えば考え方も違い、多くの個性的な人とも出会いがあり、とても勉強になった。
異業種交流の走りだった。

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欧州から戻ってきて、海外から国内に担当が変更なってから各段に回数と訪問地が増えた。
一番、強烈な象は、東日本大震災関連。震災よ翌々日から宮城に支援に向かった。
いつもの仲間と共に宮城や岩手に乗り込み、支援物資を運んだり、被害状況を調査したり、復旧さえる為にあちこちを飛び回った。
ホテルには泊まれず、事務所の床で寝た。電気は早期に復旧したが水は少し時間がかかった。
多くの人のご苦労を前に自分の苦労などしれていた。
こういう時は誰もがたいへんなのだが、お役所はたいへんだ。
瓦礫の撤去でお役所とよく相談したが、疲労が重なっていてお疲れなのが一目て分かった。
あの町の名前を聞き度にあの人を思い出す。
それから数年は、支援、瓦礫処理、そして復旧、復興と数年間は集中的に東北関係の出張が多かった。

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震災の復旧が見えてきた頃に、こんどは会社も世の中も有事の事業継続計画の立案をどうするかにシフトしてくる。
南海トラフ、首都直下型地震、伊予灘地震・・・なにか事があった時にどうやって事業を継続するか。
そんな関係で、日本海側への出張が増えた。
苫小牧、秋田、富山、福井、敦賀、博多・・・お役所の方やその地の方々とお会いすることが多くなった。
お役所はお堅い仕事で人々も画一的な人が多いという先入観はそこで崩れた。
個性的でとても親しみのある方が多い。
画一的な印象は、お役所のルールに従わざるを得ないということが多い。
税金で仕事をしているので、型破り?なことは出来ないということであることに気が付く。
「お役所仕事」というのはそんなことから来ている。ある程度は仕方ない。
一般的に「県と県庁所在地は仲が悪い」「その割に県庁と市町は隣接している」とかいうアルアル話が楽しい。
「でも当県は仲が良いんです(笑)」とオチが付く。そんなことから始まるお役所の裏話をお聞きするのも楽しい。

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日本海側は、太平洋側と違ってそんな大都市がない。
でも個性があった。それぞれの地にはそれぞれの自慢があって、その話を聞くのも楽しい。
新潟駅には酒蔵が多い新潟らしく、エキナカにコインでお酒の飲み比べが出来る自動販売機がある、それも百以上並んでいる!
苫小牧は広い。札幌から苫小牧を走るだけで北海道の広さを体感できる。
秋田に行けば秋田スギの立派な図書館があるし、油田の掘削機が街中で稼働している。
福井駅前には恐竜がいるし、敦賀では北陸新幹線の工事が始まっている。
話題がバラバラだが、机上でしかしらないことを自分の眼でみると、たいていはそれが想像を超えている。

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ある程度、ベテランになってくると同業他社の集まりに出る機会が多くなる。
合う回数も多くなり、夜の宴会も自ずと多くなり、仕事では共通の課題をどう解決するかの話し合いをするので仲間意識が熟成される。
会社の個性x個人の個性の掛け算で、実に面白い。
会社の悪口を平気でいうおっさん、関西弁でまくしたてるおっさん、写真をやたらとりたがるおっさん・・・機密管理はどうなってるんだ
どうしても知りたいことがあってベンチマークで現場を見せてくださいとの申し入れに、忙しいにも関わらず受け入れてくれる寛容さ。
会議ばかりで面白くないので、各社の現場を行きましょうと提案すると、即実行する行動力。
日本中の工場へ出張した。
そいう意味では、ベテラン揃いだったの出張の成果は上げれていたし、やりたいことが実現できて実に充実した時代だった。
それぞれ、別の道を歩んでいるが、今でもメールのやり取りをするのはこの時代の仲間。
先日、数年ぶりに東京に行った際に声をかけると集まってくれた。H社、N社、S社の仲間・・・次回はD社にも入ってもらおうと盛り上がる。
海外出張は見識が広がるが、国内出張は人脈が広がった。
社内で解決できないこと、考えが行き詰った時は、遠くの仲間に聞く、知り合いの役所の方から関係者をご紹介をいただく、業界共通の問題なら競合他社に聞く・・・
いろんな角度から色々な意見を聞いて、前に進めようという姿勢はこんな経験から身に付いたに違いない。
いままで出会った数え切れない程の多くの方々に、それを許可してくれた会社に感謝、実に充実した会社生活を担ってくれた国内出張に感謝。

<時々思い出す国内出張の出来事>
「そんなこと出来るわけがない」
・・・とあるPJTを協力会社の役人に言われた一言。その悔しさをばねにやり切ったあのプロジェクト。
「〇社様、いらっしゃいました〜!!!」
・・・震災直後、慰問と瓦礫処理に訪れたT市役所で、ご担当の方にフロアー中に大声で訪問をアナウンスいただいたあの時。
「宮崎に到達できたあの日」
・・・中部から飛行子機が飛ばす、大阪まで走って無理やり飛行に乗って、宮崎で4社の社長にお詫びできたあの日。
「一生忘れません」
・・・S社との共同プロジェクト、無事に立ち上がり、記念写真を撮った際に、苦労して立ち上げたS社のT氏の一言。
「移動させときました」
・・・実験に障害になる土砂の大山が翌朝にない。交渉や機材手配、なによりお金がかかっただろうに、ニヤッと笑ったあの顔が忘れられない。


2023年1月14日 [記]  6月9日[追記]

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