父親と山

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尾道の千光寺山、ケーブルカーで行けるが父と歩いて登った。暑い日だったので下りはケーブルを使おうという私を尻目に「下りも歩こう、俺は下りが得意だ」というので歩いた。
美しい尾道水道が見える「叩くと不思議な音がなる岩」を“喜々として”叩いている父、御年88歳。
山歩きが好きなのは、明らかに父親の影響だった。なんにでも興味があるのは、おそらく父親の影響。
大阪の商売人だった。祖父も商売人。
祖父は太平洋戦争中は中国の南京で手広く商売をしていて、敗戦と共に帰国、故郷だった吉野の川上村へ疎開した。
南京から上海に出て船で戻るまでは、地獄の帰国だった。石を投げられたり、命からがらの帰国。父親は中学生、鮮明に記憶にあるのだろう。
南京での友人が、尾道の千光寺からの眺めを懐かし気にしていたそうだ。行きたいというので、尾道に連れて同じ景色を眺めた。

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改めて聞いたことがないが、父は山歩きが好きだった。私が小学生の時に良く週末に山へ連れていかれた。
写真は金剛生駒山地の二上山、この頃からかも知れない。
生駒山地や紀伊山地・・・ケーブルなどは使わずにひたすら歩いた。 写真は残っているが、へたばっている顔が多い(笑)
なにかを教えてもらった記憶はない。
なにか説明してくれるとか、なにもない、「虫だ」「緑が綺麗だな」「気持ち良いな」と素直な感想を話し合い、山頂から景色を楽しむ。

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思えば、なにかこれが楽しいいということを頭ではなく、身体で体感していたのかも知れない。
そんな訳で、私の趣味も山歩きになった。高校時代にワンダーフォーゲル部を選んだのは、父の強制的な山歩きの潜在的な影響だったに違いない。
あれから私も父となり、未だに細々と山を歩き続けている。
ただ歩くのではなく、地形や地質・植生、里山の文化に興味を持ち、その関連の資格も取った。
日々知らない事に出会っては、なんだろう・・・なぜここにこれがあるのか・・・山や自然の不思議を知っては、“喜々として”喜んでいる。
もちろん、不思議な岩があれば金槌で叩く(笑)

写真は御嶽山、これまた息子を誘って親子三代で歩いた。この時、父親は70歳。
今日は俺が最高年来かな〜と自慢げだった。
知らないおじさんに「あなたいつく」と聞いている父・・・知らない人に臆面もなく話しかけれるこの性格は商売人の性質に違いない。
それもまた私に受け継がれている。誰にでも明るく話しかける商売人気質。 
「下りは得意だ」と言って、さっそうと下って行った。
ただ、この日は天気が悪かった。そのせいか、息子を連れて行ったが、山好きにはなっていない。付き合いが良いのは受け継がれているが。

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親子三代で歩いた最後の山は大阪の高槻にあるポンポン山。
80歳、まだまだ元気だ。
うれしそうにしていたな。「下りは得意だ」とこの時も言っていた。
そんな父も、享年92歳で他界した。
母親はもうすでに他界しているので、一人暮らしは長かったが、山歩きをやめてからも、一人で良く歩いていた。
最後まで足腰が元気だったのは、若い頃からの山歩きのお蔭か。
デイケアサービスの方の話によると、亡くなる前日にアルバムをみていたそうだ。もちろん、山を歩いていた写真もある。
最後まで山を歩くこと・・・が父から引き継いたもの
コミュニケーションを大切に、なんにでも興味を持つこと、山を自分の足で歩くこと、それが人生を豊かにする・・・言われた訳ではないが・・・それが父の遺言だ。

このポンポン山で、付き合いの良い息子に、
「俺は親孝行だろっ!?」と自慢したら、「俺も」と言って笑っていた。



2022年4月9日 [記]〜亡き父を偲んで

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