“いざ、生きめやも”
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今日も、腹ごなしに裏山の築水池をぶらぶら歩いた 夕方の5時過ぎ
ツクツクホウシ…カナカナカナ…
夏の終わりを感じさせる蝉の声といつもの景色
いつも考え事をする時はこのコースを歩く
楽しい時も苦しい時もこの風景は癒しなのだ
今日も ちょっと暗い気分を転換にここを歩いています
『自宅からWalkingと気分転換かねてひとりで来ました。人生って波がありますね。
状況に慣れない私は・・・辛い日々です。きれいになって みかえしてやります。』
池の畔(ほとり)にある小屋の雑記帳の言葉でした
この夏、失恋をしたようで
“みかえしてやります”の文字が、はっきりと力強い文字
どんな訳で男性と別れ、どんな気持ちでこの景色を眺めていたことでしょう
この雑記帳に書き込む彼女の姿を想像しながら、″同じ”景色を眺めておりました
驚いたことに、その翌日に別の記載がありました
『 何時もの散歩道。変わらぬ景色。時だけがうつろい
溢れる。孤心にはニーチェの言葉を贈ろう。
いざ、生きめやも 』
なにげなく読み流しなしたが、もう一度読み返すと彼女のメモに呼応していることに気が付きました。
最初の一行は、短い “時だけがうつろい溢れる”…深い
“ニーチェの言葉を贈ろう”…実にアカデミック
このメモを書いた方は、文才に溢れ 博識
意味が解らなかったので、調べてみました
“ いざ、生きめやも ” はポール・ヴァレリーの詩の一節の様です
“ 風立ちぬ いざ生きめやも ”
風が吹いてきた。さあ、生きていこう という意味です
愛する人を喪う運命にある男が、風の動きに触発されて、生きる希望を見出す
見えない物が自然を大きく動かしている その躍動に感動して生きる希望を見出したのである
“風立ちぬ”にそんな深い意味があるなんて…知らなかった
彼女はこの言葉を見ただろうか 彼女にもきっと届いただろう きっと読んだに違いない
まるで自分に充てられたかのような気持ちとなり 勇気づけられました
さわかに、いつものこの景色を眺めていました
2013年9月1日【記】
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