【山には何が?】

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■私版「山がくれた百のよろこび 3■

山には何がある?

山を歩いていると、そう聞いた/聞かれたことが今まで二度あった。
一度目は、上高地、若い女性が「ここって なにもないね〜」 と友人へ大声で話しかけていた。
二度目は、御嶽山の7合目あたり、ロープウエイで来た“普段着”の恋人たちが私へ「山頂にはなにがあるんですか?」と聞かれたことです。

御嶽の場合、ロープウェイは5合目あたりまで来ているので、 彼女たちは2合登ってきており、そこはもう雲上の世界、森林限界も超えており 人工物などなにもありません。
美しい景色、美しい花、新緑と紅葉の樹木、新鮮で清涼感あふれる空気、川のせせらぎ、野鳥のさえずり…なんでもあると 思っていました。

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最近、気が付いたのは、「山には“自由”がある」ってことだ。

私の最近の山歩きはストレス解消が主な目的のようか気がしていたのだが、やはりそうだった。
都会には、さまざまな人間が決めた決まりごとがある。
建物や人間がひしめき合った都会は、いろんな制約という名の規制が。 飛行機や電車には発車時刻があり、道路には信号があり、エレベーターにはボタンがあり、 当たり前だが、“待つ”ことを強いられる。

その点、山では待つことがない。
自分のペースで歩き、走り?、休み、目的地へ向かう。
手段は自分の足のみ、これさえ使いこなせれば、待つことなどない。
足は自由だ、全体重を支えながら、尚且つ 赴くままの方向へ行ってくれる。
山道に信号はない、危険な車がいないからだ。
もちろん、山には危険がたくさんある。それは自分で判断して避けねばならない。

道迷い、転倒、転落、急な病気、危険はそこらに潜んでいる。
自由の反面、ことある時は自己責任において対処する。

それが自然ってもんだろう。
人は所詮、動物なのであって、ロボットではない。
山には自由がある、そのことに気が付いた時、山でストレス解消ができている理由が解かった。

「(御嶽の)山頂にはなにがあるの?」と私に聞いた女性へ、
その時は「二ノ池っていうコバルトブルーの美しい湖がありますよ」っと答えました。

でも今なら、「山頂には、なんでもありますよ 自由まである」ってカッコよく言いたいな。

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