■私版「山がくれた百のよろこび」10 ■
山を眺める
なんてことはない。ただただ、山を眺めるのが大好きです。 「見る」のではない「眺める」のが好きなのです。
いつのころからか、これが好きになったのは。
ひときわ、これが良いと思うようになったのは、欧州赴任時代からに違いない。
最初の年、1週間ほど借りた安アパートの窓からマッターホルンが見えた。
朝昼夜と日長ながめていても … 飽きない。
氷河が作った造形美、独特の旗雲、旭日の壮観…
二年目は、グリンデルワルドのコテージからアイガーが大パノラマで見えた。
テラスがあって、そこでコーヒーを飲みながら、文庫本を読む。
読んでる本は新田次郎「聖職の碑」。 西駒での学校登山中の遭難劇。
さすが、新田次郎さんの代表作、一気に読み上げた。
熱いコーヒー、爽やかな風、ふと眼を上げると 壮大な景色。
決して、見飽きることはなかった。 家族はあきれていたが…(笑)
三年目は、フランスのシャモニ、テージからモンブランやミディを眺めた。
ここにもテラスがあって、やはり熱いコーヒーを入れた。
読んでる本は、ウインバー「アルプス登攀記」。 黎明期のアルプス登山の歴史。
これまた、翻訳本ではあったが、飽きることなく上下二巻を完読した。
ウインバーの最後の地は、このシャモニー、懐かしのアルプスを巡っている最後だったそうだ。
ふっと見上げると、モンブランが白い頂を輝かせている。
山と人には物語がある。
人による征服、遭難劇、共存共栄、自然の恵み、麓に広がる文化…
でも、
山そのものは、万年億年単位で出来上がる。すでに人智をこえた存在。
なににもまして、
山は美しい。 雪山も新緑も、紅葉も、季節の移ろい。 朝日の壮観、夕日の慕観。
そんな山を、眺めていると時の流れなど、無意味に感じるほどだ。
ただ、ただ、眺めるだけ。 眺めるだけで良い。 それだけも、山は よろこびを くれる不思議な存在だ。
いつか、北アでも中アでも南アでも、八ヶ岳でも、”でっかい山”を日がな眺めることを夢見ています。
2015年5月5日〈記〉
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