「私も能登を応援します」
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能登地震から1年 地形の成立ちと地震の影響を学ぶ
山の自然学クラブの副理事長が企画した奥能登の勉強会に参加した。写真はのと海洋ふれあいセンターから富山湾を挟んでみえる北アルプスの絶景! めったにない冬の能登の快晴下での美しい風景。
初日 浦田先生による内浦(富山湾側)の里海について学ぶ。翌日に、内浦から外浦(日本海側)に海沿いを移動するが、地震と豪雨による被害を目の当たりにし自然の驚異に愕然とすることになる。

日本海の成立ち(産総研HPによると)
・約3000万年前から地下深くからマグマが上昇、ユーラシア大陸東縁が引きの延ばされて、「正断層」が発達し大陸が裂け、割れ目からマグマが噴出して火山活動が活発化。
能登半島にある玄武岩、安山岩、流紋岩の溶岩および火山砕屑岩などはその時代のもの。
・1800万年前からは、大陸から分離され日本列島の原型が出来る。日本海には急激な拡大と深化が進み深い海となる。
海底に珪質−珪藻質シルト岩(珪藻という藻の一種)が厚く堆積。
・600万年前からは、日本海は伸長から短縮へとイベントが転じ(太平洋側のプレート圧力が強まった!?私見)、「逆断層」が発達して能登半島や能登台地の隆起が顕著となる。
2024年正月 能登半島地震はこの「逆断層」が起こしたと言われている。断層が動いた範囲は150km(気象庁)、外浦側の隆起は85kmにわたり、陸化面積は4.4平方Km(日本地理学会)、隆起は最大4m!
頻繁に引き起こされる現象ではなく、5000年に1度レベルだとか。(神戸大学 吉岡教授) 歴史に残る一大イベントであったことが分かる。

能登半島北端に近い堂ケ崎付近
道路の向こうにある法面(のり面)のコンクリートはむきだしとなり、海岸は隆起している。
手前のブロック状の地層は、珪質土。先述した1800万〜600万年前の珪藻室シルトだろう。
能登半島は最大の産地らしい。珪藻土は微細な中空構造の珪藻殻を多く含み高い断熱性と保温性がある(能登珪藻土研究会HP)らしく、有名な製品としは七輪がある。

国土地理院の地形図「日本の典型地形」
海沿いにいろんな地形があることが分かる。
「波食棚」という海面下で波により岩盤が削られて平らになった記載が散見できる。現在波食されているものもあるし、過去の地震で隆起したものを「隆起波食棚」と呼ぶ。
この写真は、堂ケ崎を超え更に輪島方向に走った海岸の写真。
白い平らな部分が隆起したエリア・・・たぶん波食棚・・・この辺りから隆起が高くなっていく。
過去数千年の間に波食棚が隆起して階段状になり、「海成段丘」と呼ばれる地形もあるらしい。
輪島 黒島の写真。私は訪問できなかったが・・・
最大4m・・・おそるしべき逆断層のずれ!

能登半島地震は震度7
マグニチュードは7.6、震源深さ16kmという。
震度7とは、人は立つことが出来ず、飛ばされる!こともある。耐震性の低いコンクリート建築は崩壊。実は震度8はない・・・最大の震度規模。
山も崩壊する。能登半島の北側は岸壁が海岸まで迫り、岬と岬の間に集落がああり、道路は岸壁を削ってトンネルを掘って集落を繋いでいる。
当然、海を真横に見ながらの道路となるので、地震前は見事な海岸風景のドライブを楽しめる。別名「能登絶景海道」。
震度7がこの地に起きると、山は崩れトンネルはふさがり・・・その上、豪雨が重なり弱った地盤がまた崩れるという最悪の条件が重なる。
この視界に広がる世界に愕然。道路が通っていたとは、とても想像が出来ない。崩壊現場。
そこに住む人の生命を奪い、生活基盤を根本から覆す 自然の驚異に言葉がない。
土砂崩れは石川・新潟・富山で439件(2024/3 国交省)

能登地震から1年、寸断された海岸沿いの通りは仮復旧。片側通行も多い。本格道路はトンネルを諦め山越えのルートの建設が進んでいるように見えた。
正直、よくぞ1年で何十キロも寸断された道路を繋いだ。金沢から奥能登までの道路は、工事用車両が大半を占めていた。宿泊した宿にも建設関係の方が泊まっていた。
まだまだ生活の復旧への道のりは遠い
珠洲市の道の駅では、炊き出しで200名以上の方が並んでいた。
会社にも珠洲 柳田の山間に高齢の母親が1人で住んでいるという方がいる。改めて最近の様子を伺うと、人口が減少して、集落のコミュニケーションが少なくなったといいう。
小木という町では中学校が廃校になるらしい。(地震で人口が減ったか、もともとの計画だったか不明だが)

途中、連れて行ったいただいた電気屋さんは家を開放して、ボランティアによる親子用のイベントを開催していた。
そのボランティアにプロの女性カメラマンがいて、能登の美しい風景の写真を撮っている方がいた。
なるほど、どの写真も本当に美しい。ここにほれ込む気持ちが分かる。
その方にステッカーをいただいた。
早速、会社内では、能登の実情を報告、命を守る活動の再点検を開始、陸の孤島となった際の連絡手段、必要備品の再整備を始めると宣言。
応援のお願いも始めた。来週には隣接する会社(名古屋港)へも報告と連携する計画を立てた。そう、能登半島応援も頼もう。
「やるぞ!能登半島 私も応援します」
2025年2月15−16日[滞在] 2月22日[記] 3月1日[一部改]〜後半の写真はクラブのY氏にいただいた感謝
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