人生最大の自由時間〜サークル活動編
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大学の5年間は、「人生最大の自由時間」と教えれ、その通りに生きた。
AISOS(留学生友の会)というハイソな響きのサークルに所属した。遊びを通じて、留学生との交流を通じて、その後の人格形成に大きな影響があった期間になる。
部室が拠点で、留学生別科の教授の部屋を半分を貸していただいた。
ずら〜と並んだ異世界の書籍、知識豊富で個性的な諸先輩や仲間に囲まれて、自由奔放な雰囲気が、大学生活を実に豊かにした。
留学生が日本で本格的な専門の勉強する前に、日本語を学ぶ学科があった。世界中からエリート学生!?が日本語を学んでいた。
このサークルは、表向きは、そんな留学生達と交流を深め、日本文化に触れながら日本を学んでもらうというお助けをするのが目的だった。
隣の女子大ではお茶会に招待されていた。お茶なんて留学生に作法を教える前に、こちらも体験したこともないのに案内した(笑)
京都や奈良に連れていったり、パーティを主催したり、留学生と交流して、異文化に触れた。
私が入学した年に学生比率が女性が多くなったが、"異文化との接触に慣れない引っ込みがち"な私はともかく、女性たちは積極的にイベントを楽しんでいたようだ。
後輩を含めた女性たちは、その後に各国にパートナーを見つけて、海外に住んでいる方も多い。
アメリカ、イギリス、ノルウエイ、オーストラリア、イタリア、中国・・・グローバルに活躍していて、時代の先端を歩いて行った。社会への適応力のすごさに感心している。
一方、私もその後の会社のグローバル化に合わせて海外出張や欧州赴任の機会を与えられるが、そう違和感なく受け入れられたのは、そんな経験があったからだろう。
そんな留学生を迎える為に合宿が定期的に組まれた。
新歓合宿(大学っぽい名前で好き)と称して春合宿、後半の計画を練ったっけ夏合宿。
場所は萩、小豆島、神島・・・あとどこだっけ遠くが多かった。
合宿は真面目な前半と不真面目な後半に分かれた構成で、
前半はテーマを決めてのグループディスカッション、各国の紹介から始まり、歴史、文化(食べ物)、国歌などについて、それぞれが発表する。
それなりの下調べと発表というプロセスは大学での学びとは別に、あるレベルまでは身についた。
きっと、社会に出て役立ったに違いない。
合宿では発表だけでなく、実技の練習もする。
正月の遊びということで、福笑いや紙相撲などなど、実際にやってみる。
留学生が楽しんでいるというより、やっている本人が楽しんでいたが。
日本人ですら経験のない「伝統文化」について触れる良い機会だ。
各国料理も良く食べに行った。写真は神戸のサラームというアラビア料理の店。
モンゴル料理、ギリシャ料理など普段、あまり食べない料理も食べに行った。
この時は楽しく食べていただけだったが、
慣れない遊びや食事は、後々のグローバルな世界での活動に大いに役立ったことに、社会人になって気が付く。
そう、慣れない料理や文化について、抵抗なく受け入れる自分になったのは、そんな事の積み重ねの上にあったことに気が付く。
諸先輩では、大学の先生だったが惜しくも亡くなられた"知の巨人"と呼びたいT氏、高校の先生であれこれとご指導いただいたM氏には感謝の言葉がないほどお世話になった。
なにより、留学生との交流やが合宿企画などは、それを引っ張る部長がいたからこそ実現した。同期の部長は中国語課のI氏、その後はロシア語科の女性部長のO女子、朝鮮語科のK氏へと続く。
部長には人には言えないご苦労があったと思うのだが、メンバーを引っ張っくれた。これも感謝しかない。
とにかく遊んだ。同期の4人。
それぞれ個性的で良いことろも悪い処も含めて全員が分かった上での仲間だった。
卒業後はそれぞれ別の道に進んだ。車屋、電気屋、もう一人は中国にわたって日本語の先生(7月2日没)をしている。
自慢の同期。同じ科のI氏は、中国で学生時代の看板を背負って頑張っていた。
ちょっと大人し目の私は(今思えば)世話になりっぱなしだった。
酒を飲んではくだを巻き、突然泣く奴、スペイン語は話す奴、寝る奴(普通か!?)・・・裏も表もさらしならが、お互い成長した。
青春時代の仲間、そんな言葉がしっくりくる。
サークルの紹介でアルバイトもさせてもらった。
定番は日本教育を終えた留学生を留学先に送るアルバイト。一度、広島大学へバスで送って新幹線で帰ると言うもの。
実にシンプルなもので、日当と帰りの新幹線代をくれる。
広島で広島焼を初めて食べて、観光して帰ったことをよく覚えている。
おもしろかったのは堺のえべっさんの売り子のアルバイト。
笹に縁起物を括り付ける。24時間やっているので、徹夜の日もある。夜は近くのサウナや喫茶店で飯を食わせてもらう。
時間と体力のある学生にはとても良いバイトだ。
夜にはスナックのママが来る、仕事が終わってからくるのだろう、その妖艶な姿に学生さんは緊張する。
地元のやくざさんが来ることもある・・・
そんな時は神社の人に耳打ちされて「彼らはここらを仕切る〇〇組のひとだから、お金を取るな」と指示される(笑)
本当に良い経験をさせてもらった。
とにかく遊んだ(笑)
夏には海水浴、日本海の萩、琵琶湖の近江舞子、和歌山の磯ノ浦・・・
留学生友の会とはまったく関係なく、大学生として遊んだ。
学生としては完全な落第生だった・・・故に、ともかく遊んだ。このサークルには遊び仲間がたくさんいた。
それもこれも、自由闊達で何でもできる、何でも言える、そんな伝統的なサークルがそうさせていたのだろう。
仲間とのドライブも数知れず、私はバイクにハマっていたので数台のバイクと中古の車を持っている奴とドライブも多かった。
写真でお気に入りは、開田高原でのこの写真。
あほなことをやるのが学生の特権だが、このピラミッドもそう。小学生しかやならいような組体操をなんでここでやるかな(笑)
左側で指揮をとっている先輩のK氏はなにをしているのだろうか。
この時は車2台、バイク3台で、飛騨をツーリングとドライブをした。
ツーリング仲間とは日本中を放浪したが、それは別の機会にして、
仲の良い仲間で女性も含めて一緒のドライブもたくさん、
19号線をさかのぼり、開田高原、寝覚めの床、野麦峠・・・2泊だったか。その最中の一枚。
こんなアホは写真が残っているのは、よほど盛り上がったが由縁の結果なんだろうと、今、しみじみと眺めている。
1980年代って感じがして、お気に入りだ。
いつかこのメンバーにあったら、こんなバカの事やってたなあと酒を飲みながら「くだを巻き」たい。
宴会〜
酒飲みが多かった。
正月は初詣だといっては酒を飲み、美術館を鑑賞した後には酒を飲み、I氏やK氏の下宿によっては酒を飲み、キャンプだと言っては酒を飲み・・・なにかにつけて酒を飲む
振袖来て酒飲むか!?(笑)
本人はそんなに強くない、ビール一杯も飲めばもうほろ酔い気分。
なぜか、女性も含めて周囲が酒が強い。
親や親せきが商売人で人と話すことに躊躇しない環境に育ったこともあるが、学生時代に酒も飲めないにに数をこなして、そんな風にくったくなく話す場になれたのが大きい。
男性も酒を飲めない奴はいなかった。一人いたか・・・でも学生時代は飲んでたな。
合宿ともなると自分が分からなくなるまで飲む奴が出てくる。そんな酔い方も学生しか出来ない。量ではなく限界値を超える自分を知っていることが大事。
社会人になると、社会ルールや慣習が大事になるので、はっちゃけたことが出来なくなる。
実に面白くない。
枠にハマらない自由な発想が新しい物を生み出すというのに。
自分の限界を知らずして、その範囲内で動いていると安全地帯で動いているのと同じで、あまり面白くない。
お酒を飲んで、自分を壊して、殻を破る。そんな事が学生時代は出来ていた。
学生時代の友とは今も付き合っている。
社会に出て同じ会社や関係する会社様と違って、「利害や打算」がない。
学生時代からの付き合いで表も裏も分かっているし、古い言葉で言えば「同じ釜の飯を食った」仲間とはなんでも話せる。
あのなんでも吸収できる時期の留学生との交流、仲間との交流が如何に大事な時間だったかが、年齢を重ねてくればくるほど、分かって来る。
長い時間が流れてはいるが、脳裏には鮮やかに残っている。
古臭い言葉で、言うのもはばかれるが、「青春そのもの」って、ことになる。
2023年1月4日 [記] 7月2日[追記]〜四川大学で教鞭をとっていたI氏がこの世を去った・・・
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