陶磁器は何処から来るのか?
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■陶土と自然史、陶器と人類史■
「瀬戸黒 茶椀」人間国宝 加藤考造氏 2020年作品、愛知陶磁美術館所蔵。なにが良いかさっぱりわからない。
茶会に出てきそう・・・黒くて渋い・・・それは分かる。
先日、美濃の屏風山を歩いた。北東側には中央アルプス、南西側はこの景色、眼下に瑞浪、土岐、多治見と丘陵地帯と盆地が並ぶ。
真ん中に、土岐川がゆったりと流れる。
この地、東濃は日本の陶磁器の生産の半数を占めている。
日本最大の窯業の集積地、
歩いた後の帰り道、高速を使わずに丘陵地帯を走りながら帰ると、あるはあるは・・・〇〇陶業、××陶器、△△陶磁器販売。
なぜ、この地が陶磁器の集積地になったのか!? ブラタモリのテーマか!?(笑)
中津川市のHPが分かり易かった。始まりは花崗岩、中央アルプスも花崗岩でその西側にも花崗岩が多い。
ピンク色が花崗岩、濃い赤色は「苗木−上松花崗岩」と呼ばれるらしい。
苗木花崗岩は優白色の黒雲母花崗岩が特徴、白っぽいので美しく見える。
花崗岩は、火成岩の一つで、地中でマグマがゆっくり冷えて出来る岩石。
ゆっくり冷えるので鉱物が結晶化しやすく、大粒のぶつぶつが白地に黒や灰色のゴマのように見える。
物理的風化、寒暖差の膨張と収縮の繰り返しで、真砂(マサ)化してバラバラになり易い。
化学的風化も起きる。
石灰岩と水との反応で有名だが、花崗岩でも一定の条件が整えれば起きる。
カリ長石や黒雲母は水と反応して、粘土鉱物のカオリンとなる。
カリ長石は2KAISi38に水が10H20が加わると、AI2Si2O5(OH)4のカオリンが出来る・・・眠くなるのでこの辺りで(笑)
このカオリンを含む粘土層が大量にある東濃地方が陶磁器産業が発達した最大の理由となる。
なぜ、この東濃に粘土層が出来たのかはまだ正確な解明がされていないが、
ゆったりして土岐川の網状の流れがその粘土層を溜めたのではないか(『日本の植生』小泉武栄)・・・
古代の東海湖の縁に粘土層が溜まったのでははないか・・・最近は東海湖はなかったとの説が有力・・・諸説ある。
東濃エリアに陶土が多いのは、こんな地質学的な背景がある。
ちなみに、長い年月をかけて、この粘土層の上に川が運んできた砂礫層が形成され湧き水が多くなり湿地が出来て独特の植生が発達する。
東海丘陵要素群と呼ばれる植物群もこの地に密接に関係している。
陶器の歴史を紐解く。興味は広がったので、美濃の陶磁器博物館を巡って、まとめてみた。
縄文時代から土器がつくられ、古墳時代に須恵器(埴輪が代表例)となり、奈良時代に釉薬を使った灰釉陶器なるものが初めて猿投窯で作られる。
唐三彩に倣って、刷毛で植物灰の釉薬を塗って窯に入れるという人工的な陶器が始まり。高級品だったらしい。
陶磁器を総称して「せともの(瀬戸物)」と呼ぶが、陶磁器の一大産地として東日本に広まったので、一般名詞と化した。
因みに、西日本では、「からつもの(唐津物)」と有田/唐津焼を指して読んでいたらしい。西では唐津が有名だったんだろう。
焼き物の種類は難しい。土質、産地、焼き方、装飾方法などの切り口が違うと呼び名が変るのが興味深い。
まずは、土質の違いで陶器と磁器が分かれる。陶土(上記粘土)からできるのが「陶器」、陶石(=長石や石英を多いケイ酸質の石)を高温で焼いてガラス質になるのが「磁器」。
陶器は猿投窯(瀬戸周辺)で始まる。ほどなく、美濃へ拡大。六古窯、「瀬戸焼」に始まり、「常滑焼」「越前焼」「信楽焼」「丹波立杭焼」「備前焼」は産地の名前。
「美濃焼」は何故か入っていないが、これも産地。
16世紀の半ばから、美濃で発達する「黄瀬戸」、「瀬戸黒」、「志野」、「御深井」などは釉薬の種類/焼き方など手法で名前が付けられた。
主には、茶道の世界で使う茶器が様々の技法が発展した。安土桃山時代。千利休が代表格。
16世紀になって、秀吉の朝鮮出兵を契機に、朝鮮の陶工と有田の陶石(長石と白雲母)による磁器生産が本格的に始まり、有田焼が台頭してくる。
有田焼で、釉の発達とともに装飾性の強い有田焼は輸出産業としても発達。酒井田柿右衛門が、乳白色(濁手)の地肌に赤色系の上絵を焼き付けるという「柿右衛門様式」を編み出す。
積港が伊万里港であったので、「伊万里焼」とも呼ばれる。
その後、遅れて美濃と瀬戸でも磁器の生産が発展して、日本の一大産地へと飛躍していく。
陶磁器はセラミック分野など更なる発展をしているが、「Noritake」や「旧INAX(伊那製陶)」「鳴海製陶」などの有名企業が中部にあるのはそんな歴史の上に立っている。
さて、冒頭の「瀬戸黒」と「黄瀬戸」を眺める。陶器の背景にある歴史を知れば、更に渋さが増して見える!
瀬戸黒は、初期の筒型椀で、鉄釉を焼成中に窯から引き出して急冷させてることで漆黒色になったもの。16世紀末に茶人に愛された。
同時期に黄瀬戸(きぜと)、灰釉を意識的に黄色に発色させたもの。茶器だけでなく、懐石用食器、花入れ、水指なども造られた。
両作品とも人間国宝である加藤孝造氏の作品。
地形が生んだ粘土、それに着眼して陶器や磁器にした人の知恵、
技術の進展とともに、時代時代に変遷する焼き物の姿。
屏風山 山頂からの景色を基点に、学んだ陶土と陶器の歴史。現代のセラミック技術はどこまで人の役に立っていくのだろうと未来を見つめる。
2021年7月11日 <記>
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