伊那谷の独特の地形はどうやって出来たか!?
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■暴れ川と田切と河岸段丘■
松川町の天竜川から中央アルプスを望む。
天竜川は「暴れ天竜」と言われるほどに過去水害が多い。続日本書紀から記録(715年)あるらしい。つまりは、谷が深く急流。
諏訪湖から流れ出て、伊那谷を南下して、駿河に至る。流路延長は213km、日本第9位。
上流部は伊那谷を走る。東に南アルプス、西に中央アルプスに挟まれてた伊那谷を南北に流れる。
イメージ図(中央構造線博物館HPより)にある通り、伊那谷は約250万年前の日本の地殻変動期、元は準平原だった場所が東西からのプレートの圧力で盛り上がった大山脈の間の谷になる。
東西に3000m級の山々に挟まれ、谷といっても平坦部が広いとても明るい谷。
高速道は谷の西よりを走るので、伊那谷と南アルプス(南ア)の風景が見惚れるほどに美しい。中央アルプスはまじかに眺めることができて大迫力。
伊那谷南部の飯田市の西側(中央アルプス側)の風越山から東側を見た写真。
遠くの白い冠雪した山山が南アルプス、だいぶ遠目に見える。その手前に前衛の伊那山地がある。南アは奥深いことが良く分かる。
見えないがその間に、中央構造線が走る。先述のイメージ図でいう緑の外帯とピンクの内帯の境界線。
東からのプレートに均等に押されたせいか、南アルプス山頂部から直線的に緩やかに傾斜して伊那谷の底の天竜川に至るのが良く分かる。
天竜川付近には段差がある。平らな面と崖が続く。平ら面は人が開発するので白っぽく、崖(段丘崖)には緑が残る。
川の浸食と断層による隆起により出来ている。これも伊那谷に特徴的な風景。
西側(南アルプス側)から東側を眺める。前衛山地の陣馬形山から。伊那谷に中央部あたり。
中央アルプスは伊那谷から急に立ち上がっていることが分かる。東側とはだいぶ風景が違う。
「田切」という地形が良く見える。
急な山地から流れでる川が、下段段丘や扇状地を抉り、急な谷をつくる。緑色の縞模様がその谷。
由来は「滾(たぎ)る」であり、傾斜地を流れる河川において、両側が崖状になっている場所を水が激しく流れる様子のことをいう。(By Wikipedia)
「中田切川」「与田切川」、写真にはないが「大田切川」などこの辺りは「田切」という地名が多い。
国土交通省天竜川河川事務所のデータ。天竜川本流は、とういうか日本の川は大陸と比較して、急流。グラフの目盛りが極端だが、相対的にはもはや「滝」。
天竜川はその中でも急流に入り、伊那谷では傾斜が100分の1から250分の1でかなりきつい。100から250mで1m傾くという計算。
支流に至っては、特に天竜川の支流はその何倍もある。40分の1から100分の1。これぞ、滝か!?。
田切という地形が伊那谷で特徴的なのは、山地から急激に平坦な谷に出るので、勢いで谷をも削ってしまうからに違いない。
鉄道や道路はこの田切や河岸段丘地形を避けて通すので、くねくねの道が多い。まあ、風景に変化があった楽しいのだが…。
土木技術が発達して、2013年の高さ50mで与田切川を横断する「与田切大橋」、2020年には高さ40m長さ990mの「中央アルプス大橋」がかかる。
手前に白い花崗岩が見えるのが与田切側上流部分、中央アルプスの入口、傘山への林道途中から。
緑色の谷が郷沢川という小さめの田切地形、でも?字谷。
川の写真が天竜川と与田切川の合流部分、左上に橋脚が見えるがあれが、たぶん「与田切大橋」だろう。
あれが高さ50m!?、どれだけ“滾(たぎ)る”!!とこれだけ浸食するのだろう。 「田切」地形の大きさが良く分かる。
「濁流滾滾(だくりゅうこんこん」…この日、8月の後半、大雨の翌日だった。この翌日も大雨だった天竜川が危険水位を超えた。
土木技術が発達している現代だからこそ、なんとか持ちこたえたが、明治以前なら水害が多発したでろうことは容易に想像できる。
とうとうと流れる天竜川と与田切川の迫力を目の当たりにして、圧倒された。
2021年8月28日 <記>
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