金華山−2009年初山歩き

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■2009年1月2日 日本一時帰国で金華山へ。 織田信長はなにを観た。


せっかく日本に一時帰国したので、日本でどこへ登ろうと考え、本日2日に岐阜の金華山に登りました。
本当は鈴鹿や養老山地を歩くつもりでしたが、冬型の気圧配置に伴う雪雲が山頂部を覆い、とても展望を望めそうにもないので、正月ぐらいは展望の良い山を歩きたいと思い、以前から歩きたいと思っていたこの山にしました。
標高はたったの329mですが、濃尾平野の最北に位置しており、北は美濃を南は尾張(濃尾平野)を望むことができる絶好のロケーションにあります。
戦国時代は斎藤道三などの斎藤氏と織田信長が覇権を争った末、1567年に織田信長が天下統一の布石としてこの城に入城を果たしています。
 岐阜市という都会の北側に位置する低山とはいえ、植生は豊かで、椎の原生林や貴重な動植物が生息し、市民に愛される山となっています。
江戸時代は天領として、尾張藩が保護した山域でもあります。
特異な植生としては、「ヒトツバ」なるものを見ました。 ウラボシ科、南関東以西に分布するシダで、単葉で分立してたっております。 立ち姿が絵になるので、けっこう目につきました。 芭蕉も一句、 「夏きても だた一つばの 一葉かな」と詠んでいます。
この山は美濃の山々の南のはずれにあり、北側には山山が続き、とても低山を歩いているという感じがしません。
全山花崗岩のこの山は、この様な岩(烏帽子岩)の露出を見ることができます。
登りの登山道は、「瞑想の小路」と呼ばれています。
1600年に、関が原の前哨戦として、東軍の池田氏がこの道より岐阜城を攻め立て、織田秀信(孫)が守るこの城を陥落させています。
いまから400年以上前に生死をかけた軍勢がここをかけのぼったわけです。
山頂の岐阜城です。
「美濃を制するものは天下を制す」
織田信長が豊臣秀吉等を随え、約10年間の間、安土城に変るまで、この城を居城とします。
この“難攻不落の城は天下への架け橋”となりました。
今は、昭和31年に建設され、平成9年に改装され、みためも綺麗になってしまって?います。
この山頂より眺めるその景色は、織田信長が眺めた400年以上前の景色とほほ同じでしょう。
 彼が好んだという、幸若舞『敦盛』の一節「人間五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり ひとたび生を享け 滅せぬもののあるべきか」 が思い起こされます。
私には兄が一人おりますが、この兄の部屋にもこの言葉があり、なにやら武士の悲哀を感じさせる言葉です。

約1時間ほどで山頂に到着でき、山頂からは、ほぼ360度の展望を楽しむことができます。 北側には奥美濃の山々、木曾山系の末端にあたり、準平原が広がっています
西側には鈴鹿山地や養老山地など尾張平野の西にそびえる山山を望むことができます。 日本海側から雪雲が流れ込み、今のような冬はこの写真のように、冬独特の雪雲に隠れた山脈を望むことができます。本当ならあの峰峰のどこかに登る予定でしたが、この軽装備ではあの雪雲に突っ込む勇気がありません。
南側は広大な濃尾平野が広がっています。 木曽・揖斐・長良川が平野をながれ伊勢湾にそそいでいます。 斎藤道三や織田信長は、よくぞこの地を選んだものだ、と感心しきりです。 天下人はやはり、選ぶ場所が違う。
山頂には御嶽神社がありました。
2009年が山歩きブロガーの皆様にとって、より良い年になりますように! 織田信長のように、天下統一までは望みません。(笑)が、 家族ともども健康で仕事がうまくいき、山歩きと街歩きを存分に楽しめる年となりますように!と祈願して下山しました。
短い滞在でしたが、友人にも会え、山歩きもでき、日本の年末年始を楽しむことができて良かった。

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