吉野山 青根ヶ峰【858m】

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「花を見たくば 吉野へござれ」・・・
好日山荘の4月刊誌にありました。 江戸初期の小唄に文句だそうだ。

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吉野の桜は、ヤマザクラです。
桜といえばソメイヨシノですが、これは江戸時代末期に生み出された品種で、吉野の桜にあやかって、「ヨシノ」の名を冠したそうです。
残念ながら、下千本・中千本・上千本は葉桜となっておりますが、
どうしても行きたくなって…今日2014年4月20日

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ソメイヨシノは花が咲いたあとに緑の新緑が出てきますが、ヤマザクラは花と葉っぱが同時です。
赤茶色の葉っぱは、桜のピンクと相まって、遠くから眺めると ピンクピンクでない上品な色に見えます。
<金峯山蔵王堂:国宝>

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吉野がサクラが名所となった謂れは、1,300年前に遡ります。
修験道の開祖である役小角は吉野山から連なる大峰山脈で修行を重ねました。
その苦行の末に、蔵王大権現を感得、怒髪天を衝く恐ろしい顔つきが大衆を救うと、その姿をサクラの木に彫ったらしい。

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<金剛蔵王権現:特別御開帳:撮影禁止なのでJR東海HPより>

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特別御開帳というので、大枚をはたいて、ありがたくも眼前で拝むことができました。
暗闇に浮かぶ権現さんは大迫力で、おもわず 手を合わすほどです。
そこから、サクラは御神木にふさわしいと以来、人々の信仰をあつめました。
現在は山全体がサクラで覆われています。
一目千本といわれ、山の麓から山上まで約1ケ月をかけて桜前線が駆け上がります。

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上千本から蔵王堂が遙かに望めます。
1週間前まではここが上品なピンクに染まっていました。
古くは、源義経が討伐を受けた時にここに身を隠し、最愛の静御前と今生の別れとなりました。
歌舞伎の「義経千本桜はここが舞台です。
豊臣秀吉も、ここからの眺めに感嘆の声を上げたそうです。

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上千本には、吉野水分神社があります。
創設は不詳だが、「続日本記」:698年に記載があるようです。
現在は、桃山時代の美しい建築で、豊臣秀頼が再建しています。
本殿は重文  枝垂れ桜が美しい。

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ここからの路は植林地(おもしろくない)を歩きます。 山の一番奥には、金峯神社があります。
ここが最後の参拝を済ませて、奥千本と、山頂である青根ヶ峰へ向かいます。

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奥千本には、西行の庵が再現されている場所があります。
西行とは平安時代から鎌倉時代にかけての歌人で、吉野のサクラをこよなく愛した人です。
奥千本はちょうと満開でした。
法師も、こんな風景を眺めていたのでしょうか

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吉野山 こずえの花を 見し日より
心は身にも そはずなりにき
(吉野の桜を見てしまったら 心が身体から浮かれて出てしまう・・・)

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直ぐ近くが、山頂です。 
858m、三角点がありますが、展望はまったくありません。
誰もいません。





この先は、200km弱の山道が熊野まで続きます。
「大峯奥駆道」 役小角も修行した道。 昔はこの青根ヶ岳からがそうだったのでしょう、女人結界の文字がありました。
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修験道には修験者がいまでもいます。
約1,300年前から脈々と続くこの吉野と熊野を結ぶ道・・・
こんな山奥にある山ですが、いろんな歴史をみてきた吉野山
たとえ今は観光地と化していようとも、桜の最盛期に来るぞっと誓うのでありました。

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