摩耶 東山

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2015年12月27日(日)、新神戸駅から六甲山系の東山を歩きました。

標高はたったの360mほど、摩耶山への途上ピークにすぎません。 
今年は神戸へ行く機会が多かった。 仕事も含めると5回も行っています。 

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きっとなにかの縁もあろうと、その街を眺めるのが目的です。
もちろんその先の摩耶山に行きたいのですが、今の実力では到達できる自信がなく、手前ピークの東山でも、2時間もかかります!

でもそれでも良いのです。
六甲からは神戸や瀬戸内海のパノラマが探訪でき、ぶらぶら時間を楽しみながら歩けば、年の瀬の締めくくりにはもってこい。

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コースは旧摩耶道を歩きます。
神戸の街や六甲の山並みを眺めながら、はあはぁ言いながら歩きました。

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キツイ坂道は、時間をかければ、ゆったりと歩けば、違うものが見えてきます。
足元の野草や鳥のさえずりに気が付いて、心が満たされます。
足早に駆け抜けると、野草や野鳥を見逃してしまう。
でも、一方で急がば、早く山頂からの展望を楽しめる。さて、どちらを選ぶか・・・

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でも、時間とは不思議なもので、「幸せの量」議論と同じく、(感じる)時間も相対的な量に差があっても絶対量は同じではないかと最近思うのです。
長生きしても、短命でも、その人が時間をどう使うかどう見るかであります。
ゆっくり歩いて足元を見るか、急いで山頂からの展望を楽しむか、与えられた時間は同じ
「胡蝶の夢」は現実か夢か…ですが、時間の概念についてもこれに類するような議論を提示していまいると思うのです。

おっと、ちと横道にそれそうなので、元道に戻り、
まあ、自分が良いと思う時間の使い方が大事だという、あたりきの結論に至るわけです(笑)

目指す山頂に行かないなら、足元を見よう。 そこにも素晴らしい世界はある。
山頂は高いほうが景色は良いかと思いますが、それが良いかというとそうでもない。

どの山を選ぶかは自分しだい。 山は夢ややりたいことに置き換えます。
何を選ぶかは、何を面白いと感じるかです。 何を面白いと思うかは、自分がそのエリアについてどれだけ努力しているかでしょう。
苦労して得たものは、歩きでも知識でも、喜びは大きい。 山頂も野草も、地質も。

まことに、山歩きというのは奥が深い。


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ただがだ、360mのピークから神戸の街を見下ろしながら、谷にコダマする野鳥のさえずりを楽しみながら、 そんな”哲学” を楽しんでます。

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