愛宕山【924m】

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愛宕山(あたご山)、標高924m、京都の西北にそびえるたいへん立派な山です。 30年以上前に登りました。
2011年2月13日再び。日本に戻って初めての、“本格的な”ピークハントです。 この山はたいへん名の知れた信仰の山でもあります。 ピークハントというよりも、“愛宕参り”が正しい呼び方でしょう。
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山頂には愛宕神社があり、古来より火伏せの神様として京都の住民の信仰を集め、全国各地にも広がっている全国約900社の愛宕神社の総本社である。 出発は、愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)です。 嵯峨野の最奥。 8世紀中頃、創建。 奈良時代末期のことです。さすが京都。 平安時代の初めに鴨川の反乱で流出。 後、後醍醐天皇の命により、この地で再興されたようです。
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本堂は鎌倉時代の様式が見事。重要文化財です。
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別名、千二百羅漢の寺。
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このあたりは、「嵯峨鳥居本伝統的保存地区」でもあり、明治期の建物が残っており、とても風情あるところです。
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愛宕神社は、大宝年間(701年-704年)に、修験道の祖とされる役小角と白山の開祖として知られる泰澄によって創建されました。1300年以上も前です!
<清滝川:桂川の支流、嵐山で合流>
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<清滝:ここから本格的な登山道、表参道の始まり>
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天応元年(781年)に慶俊僧都、和気清麻呂によって中興され、愛宕山に愛宕大権現を祀る白雲寺を建立したと伝える。
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王城の乾(いぬい)(北西)の守護神となり、愛宕権現(ごんげん)と称して崇敬された。
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9世紀には神仏習合の修験道の道場となっており、本殿に愛宕大権現の本地仏である勝軍地蔵、 奥の院(現在の若宮)に愛宕山の天狗の太郎坊を祀っていた。
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その歴史に裏打ちされ、杉木立も幽玄な雰囲気です。立派な杉もたくさんあります。数百年経つものあるでしょう。
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歴史が古いだけに、逸話もたくさんあります。 平安時代、崇徳上皇が藤原頼長に命じて愛宕神社で呪詛を行わせて天皇を呪い殺したという噂が広まり、これに激怒した後鳥羽法皇は後白河天皇を即位させ、これがきっかけに保元の乱が発生したとされている。
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明智光秀は主君織田信長を本能寺に攻める数日前の天正10年(1582年)5月下旬、愛宕山に参詣し連歌を興行した。全九名で100韻を詠み(愛宕百韻)、書き留めた懐紙を神前に捧げた。
光秀の発句 『ときは今 あめが下しる 五月哉(さつきかな)』 
         
<途中の山門:風格があります>
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変わりダネでは、上方落語に「愛宕山」があります。桂枝雀が絶品やったな〜。 春先のこと、京都の旦那が「気候もいいので野駆け(ピクニック)をしよやないか」と発案したので、芸妓や舞妓、お茶屋の女将らとともに愛宕山へ登ることになった。てんやわんやの大騒ぎのピクニックです。 「あんな山たいしたことない」と豪語する輩も、あっさり弱音をはいたりするほどの、なかなかの参詣道です。
天気は、あまり良くありません。今日も雪がはらはら、高度がますごとに雪が深くなります。
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途中の展望がよい場所で、アイゼンを付けます。
<あ〜ここもまた、京都市の展望が良い。眼下に広沢の池、遠くの山は京都東山>
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歴史の道は、今も人がたくさん歩いています。 山歩きというより、やはり“愛宕参り”。 昭和初期の第二次大戦までは、ケーブルカーがあったそうです。戦争でレールがなくなり、いまは廃線です。
いまは、もう自分の足で山頂まで歩くしかありません。 それが良い!
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愛宕神社です。 本殿です。 階段の数もすごいが、約1300年の歴史もすごい。清滝との標高差844m。往復8km。
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「お伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕山へは月参り」とか。毎月は登れないな〜。

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