天の香具山【152m】

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■2011年2月5日は、明日香村へ行きました。万葉の世界に浸りたかったからです。

「倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(やまこも)れる 倭しうるはし」【古事記】

倭建命(やまとたけるのみこと)、辞世の歌とも言われています。
「倭は母なる国、私の故郷。幾重にも重なって青々とした垣をなす山々、その山々に囲に抱かれている倭は、何と美しい国だろう!」
 このフレーズは、高校のワンゲルの先生がよく口ずさんでおりました。 よくこの周辺の山々をワンダーフォーゲルして、明日香村も歩いたものです。 
望郷の歌なのですが、そこにまさに“故郷”の原点を感じることができます。
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明日香村は、いわるゆ飛鳥時代、崇峻天皇5年(592年)から和銅3年(710年)の119年間にかけこのあたりに宮・都が置かれていた中心地であります。古墳時代の後期とも重なります。 今は、普通の里山の風景ですが、1400年前(平城京の前)にはここに大きな宮殿があったわけです。
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いくつかあったそのお宮のあとのひとつ。伝飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)跡
大化の改新で蘇我馬子が殺されてた場所だとか。
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聖徳太子がいた時代でもあります。 日本最古の大仏様が飛鳥寺に鎮座なさっています。
推古天皇の時代、蘇我馬子や聖徳太子が発願し、596年に創建された日本最初の本格的大伽藍寺院でした。 887年と1196年に焼失してしましました。
 現在のお寺は1632年、江戸時代のものだそうです。
 この大仏様(釈迦如来坐像)は、609年に止利法師により造られた日本最古の仏像で、幾度も被災していますが、お顔と右手は当時のままだとか。 場所は一歩もここから動いていないそうです。
 仏教が入ってきて間もない頃ですから、百済の様式を残しています。平安や鎌倉の仏像ほど芸術的な美しさはありませんが、その約1400年間一歩も動いていないというその事実はそれだけですごいものです。
思わず手を合わせて、お坊様の説法を聞いておりました。
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「橘寺」…聖徳太子が生まれた場所と云われています。
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入ってきたと言えば、 「水落遺跡」…水時計の遺構、当時の最先端技術だったことでしょう。
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大化の改新や壬申の乱もこの時代です。 蘇我入鹿の首塚もここにあります。
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記録と伝説が交錯する時代でもあります。 正体不明の石遺構もたくさん。 「酒船石」 …目的不明 水を流す装置だったとも。手塚治虫「三つ目がとおる」では、薬草から薬品を調合していたような記憶もあります。
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「亀石」 …目的不明 明日香村のマスコット的石です。 川原寺の領地の境においた四至石?
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でもなにやら、やっぱりこころ和む風景の間を縫って歩きます。
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史跡や寺院は昔のままなのですが、変わってのは街並み(村並み)です。 ぼろぼろの土壁と崩れた瓦屋根のお宅が多かった記憶があるのですが、景観を考えてたりっぱな家をたくさんみるようになりました。まるで京都のよう。素朴な奈良の街並みが個人的には好きだったのです。
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天皇もたくさんおられたので、天皇や貴族の古墳もたくさんあります。ちょっと盛り上がった場所は古墳といっても過言ではありません。 高松塚やキトラ古墳、卑弥呼の墓といわれる箸墓古墳もこのあたりにあります。 「天武・持統天皇陵」 …たいへん珍しい夫婦合葬墓
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さて、最後に天香具山(あまのかぐやま)です。 天の香具山は未踏峰!でしたので、こん回の目的はその登頂も兼ねていました。(笑)
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高校時代に習った、有名な歌! 「春過ぎて夏来たるらし白たへの衣干したり天香具山」 これは持統天皇の歌なのです。
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山頂(標高152.4m)には、国常立神社(くにとこたち)がありました。 天地開闢とともに現れた国土形成の神様であります。
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山頂からの展望はあまりよくありません。きっと昔は良かったのでしょう。
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「大和には、群山(むらやま)あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば国原は 煙り立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国ぞ あきづ島 大和の国は」 【舒明天皇】 “うまし国ぞ あきづ島”か! うまいこと詠むな〜。きっとかまどの煙がたくさんみえたんだろうな〜。
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