ローマの休日!?

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■年末年始の休みを利用して2009年12月26日(土)から29日(火)までローマを旅した。
ローマといえば、「ローマの休日」。無理矢理!?
大学時代に学校をサボって映画館に足しげく通った時の思い出の1本でもあります。
1953年のアメリカ映画、オードリーヘップバーンを世に売り出した名作です。
しぶ〜い相手役のグレゴリーペックも女性にも受けたでしょう。映画は大ヒットします。
この映画は女王と新聞記者の“かなわぬ恋”を主題で描いておりますが、ローマの有名な史跡名所を舞台にしており、
ローマの観光に一役買っております。

ここでは、映画の解説と観光案内のみの記事となり、街歩きのテーマから離れておりますが、すきなものですから、まあ仕方がないですね。
尚、緑色は「ローマの休日」関連です。

最初はバチカン市国の「サンピエトロ寺院」のクーポラの見晴らしから始まります。(前年ながら写真はありません) 音楽と伴にサンピエトロ広場やその向うに広がるローマの町並みを映し出し、ローマへの旅情を誘ってくれます。

「サン・ピエトロ大聖堂」
カトリックの総本山、規模、装飾ともに世界屈指の荘厳な宗教建築であります。
西暦64年頃、このあたりで聖ペテロがネロ帝により逆さ十字に架けられたそうです。

その後、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝が聖堂を建てさせてのが始まりとか。


最も奥には「聖ペテロの椅子」が鎮座しています。
祭壇の下には、聖ペテロの墓があるそうです。
周りは聖人で固められ、その荘厳さはすごいです。

宗教画もたくさん描かれています。
ヨーロッパに来て、宗教画は沢山みましたが、やはり美術館でみるより教会でみる方がありがたみがあります。


私はキリスト教徒ではないですが、その人を引き込む演出力や荘厳さをこれでもかと誇示する装飾や彫像をさすがです。
個人的には、シンプルな方が良いですが、うわ〜と感嘆すること請け合いです。

たまたまクリスマス時期に訪問したこともあり、“イエス誕生”の物語も造られていました。
ベルギーのグランプラスにも立派なものがありあますが、ここのはされにそれを上回る規模でした。
夜の設定で電飾も飾られ、見事なものです。


「バチカン博物館」
歴代の法王がその財力を注ぎ込みで集めたその時代時代のコレクションでが詰まっています。
まともに行くと長蛇の列に並ばねばなりませんでの、ネットで事前予約をしていきました。

大燭台のギャラリー:天上画が美しい。


地図のギャラリー:天上が金金です。

16世紀の後半、グレゴリウス13世がイニャツイオ・ダンティという数学者/宇宙学者/建築家に書かせたそうです。
アルプスのあたりは教会や街の名前はあったが、山の名前はまだなし。

ラファエッロの間:「アテネの学堂」など知っている絵もありましたが、これは「ゴルゴの火災」。

八角形の中庭:「ラオコーン」がありました。
中学のときに教科書でみたやつなので、感動しました。

個人的には、やはり宗教ものが多く、まだまだ知識も少ないので、ささっと廻ってしまいました。
気に入ったものは2つあって、これは一つ目のモザイク画。
燭台のギャラリーの入口?にあったものです。
名前もなにもありませんが、なかなかイケています。
モザイク画⇒フレスコ画⇒額にはいった絵画と変遷していくはずなので そう新しくはないものでしょう。
いまでも使えそうなフラワーアランジだなと思いました。

一番気に入ったのが、この紋章です。
バチカンの紋章!
由来はまったくわかりませんが、単純にカッコよい。

宮殿での公務に飽きたアン王女(ヘップバーン)は、沈静剤を飲んだあと、宮殿を抜け出します。
ここ「共和国広場」(19世紀完成)で新聞記者であるジョー(ゲイリークーパー)に出会います。


ここが最も有名な「スペイン広場」です。
アン王女がここでジェラートを食べ、ジョー記者にデートの誘いを受けるところです。

広場前はブランドショップが立ち並んでいることもあり、凄い人の観光客でした。
18世紀、建築家フランチェスコ・デ・サンクティス作のバロック終焉期の秀作。


「ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂」です。
ヴェスパに二人乗りでデータが始まります。

「カンピードリオの丘」への階段です。
街を迷走するヴェスパと警官とのおっかけっこ。

さあ「コロッセオ」です。
二人のヴェスパがこの前を楽しそうに通過していきます。
紀元1世紀の巨大な円形闘技場です。

長径188m、短径156m、高さ57m、5万人収容。
“コロッセオがある限りローマも存在するだろう。コロッセオが崩れるとき、ローマも終わりとなろう。が、ローマが終わるときは、世界の終わりだ”と12世紀末の名言。
本当にこの巨大さが、2000年前に造られたかと思うと、驚嘆せざるをえません。


この「コロッセオ」の西に「パラティー二の丘」があります。
政治家や貴族がこの丘に居を構えました。
今は廃墟とのっぱらです。

「フォノロマーノ」 パラティー二の丘の上から北側に望めます。
古代ローマの集会や裁判、商業活動や政治討論などが行われた公共の広場で、ローマ発展の中核でありました。

「マクセンティウスのバジリ(集会場)」
紀元306年、3つの会堂の屋根は大理石、内部はスタッコの格天上。

「レジア」
共和政時代は大神官の住居、その後は王宮として使われた。


あと有名の場面では「真実の口」での二人の戯れがありますが、残念ながら横から覗いただけで、写真はありません。(悲)

「サンタンジェロ城」
この川のパーティ会場で、大騒ぎ、川に飛び込んで向こう岸へ。
その先を書いても、ちょっと野暮なので、省略です。(笑)

紀元2世紀、ハドリアヌス帝がその後のローマ皇帝の霊廟として造られたもの。
ヴァティカン市国の要塞の時代もありました。

「バルベリーニ宮」
この門が見える路地で二人はお別れです。

17世紀のバロック建築の代表。
今は国立古典絵画館になっています。

最後の場面は、「コロナン宮」というところですが、見学は土曜の午前中のみらしく、訪問できず。
アン王女による記者会見の場面です。
新聞記者ジョーとの公の場での私的なお別れの場面
台詞まわしなし、アイコンタクトのみの会話で、ここまで盛り上がる場面は、いまだ見たことがありません。


こうやって見ると、この「ローマの休日」、見事な観光案内にもなっています。
さて、見残した舞台はいつ見に行けることやら。

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2009年12月30日[記] 2021年7月4日[一部改]