ノルマンディ

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■2009年4月11日(土)から13日(日)までノルマンディ地方を旅しておりました。
イースター休暇を利用してフランス北西部の自動車で廻ります。
9世紀初、バイキングであるノルマン人がこの地に侵攻して以来、ノンマンディ公国として勢力を拡大し、一時11世紀には対岸のイングランドをも征服してノルマン朝を作るほどの勢いのあった地方です。
ノルマンディ公国の首都だった「ルーアン」を歩きます。
今は人口10万人ほどの中規模都市です。

街は木組みの家が多い。
ドイツは木組みの家が多いのだが、この地方は風が強く、それに耐えるために田舎には防風林、家々は石の土台に木組みの家、窓は小さい設計になっているそうです。
ドイツとの造りの違いがわからないけど。

ホテルのそばには、旧広場があり、ここはかのジャンヌダルクが火あぶりの刑に処された、終焉の地もある。
こんな教会も建っています
19歳にしてフランスの救世主といわれながら、最後は理不尽な処刑をされる彼女の数奇な運命をしばし思います。

おもちゃ屋さんの店頭にこんな面白いものも。
日本で言うスマートボールでしょうか、カエルの口なんかあったりして、下にボールが落ちて…数字は得点?
立体的でなかなか面白い。

マカロンというフランスのお菓子やさんもあった。
ディスプライの仕方あんて、これまたおもしろい。
いきなりたくさん立ち止まり、時間をくったので、どんどん先にすすみます。

この街でもっとも有名な景色の、「金の時計台」です。
この金金した大きな時計、ひときは目をひきます。


時計台の右側はなにやら、いかめしい彫刻群が
きっと由緒ある時計門なのでしょう。


門をくぐるとその、内側にも見事な彫刻が。
西洋のこの種の彫刻はキリストの物語が多いので、これもきっとそうなんだろうな。




門を通りすぎた反対側。
花屋さんやブランドショップが林立して、たいへん華やかな雰囲気の通り。

ルーアン焼きというオレンジを基調とした焼き物も有名なようです。
でもデルフト焼きでも思いましたが、中国やその影響をうけている中国の陶器の技術、焼きや装飾、色具合を比べるとレベルが低いように感じられます。

通りの向うにルーアンの大聖堂がみえてきた。








創建は1062年、何世紀にもわたる改修を続けている。
ゴシック建築はごてごてっとしてみえるが、これはもっとそう見える


中は天井高く、ひんやりした空気が荘厳さを増す。



教会をぐるっとまわります。
この通りも木組みの家が続きます。
「街中が博物館」といわれる由縁でしょうが、なぜこんなにたくさんの家がのこっているのだろう。
このノルマンディ地方、ノルマンディ上陸作戦で有名な地であり、連合国とドイツ軍がそうとうやりあっているはずだた。

ガイドブックに「この教会の東側の門からの景色が忘れがたい」なんて書いてあるので、来て覗く。
なんだかたいしたことない。
寺田虎彦さんの案内者にあった「この窓から見る景色がよいからと「ガイドブックに書いてあり、その窓から覗いている観光客を見るにつけ・・・」の下りを思い出し、一人で苦笑。

ルーアン美術館にも足を運びます。
カラヴァッジオ(Caravaggio)の《キリストの笞刑図》、なにやら有名な絵です。
たくましいキリストが印象的。

お目当ては、印象派モネの絵です。
特に、「ルーアンの大聖堂」の連作30点の一、「曇天」です。
その風景とその絵が同じ街にあるので、比較がしやすく、感慨もひとしお。
変わらず印象派の作品は、離れてなんとか絵がわかり、近くでみると絵の具を塗りたくっています。
左もモネの絵でしたが、なにやら「印象」派すぎて、私には良さがわかりません。




翌日はモンサンミッシェルへ行きました。

ルーアンから約300km、ブルターニュ半島の付け根にあります。
“西洋の驚異”“地球上の最高傑作”などたいへんな呼び声の高い修道院です。
着いたのは11時頃でしたが、車が駐車場にはいるのに、渋滞が始まっていました。

駐車場はこの島の麓にあり、修道院には城壁をくぐって入ることになります。
そういう意味では要塞です。

はいってすぐは、グランドリュとよばれるおみやげやレストランが立ち並ぶ通りで、名物のオムレツ屋もある。
ものはためしで、入るとふわふわのオムレツが25€もする。
値段まで世界遺産並みなので驚きました。

修道院までゆっくりと左にカーブしながら道が続く。
道の狭さの割りに、観光客が異常に多く、おしあいへしあい歩くという感じ。
大阪の石切神社の初詣を思い出した。

修道院の麓までやってきました。
ここからまた人がならんでいます。
せっかく来たからと、約1時間ほどならびました。

でもこの修道院、一見の価値はあります。
この辺鄙なこの地にこれだけの構えはなかなかできません。
まさしく要塞

集会所、祈りの場、どれもりっぱです。

13世紀に建てられた「回廊」ゴシックの傑作
修行者が瞑想するのに良く使ったとのこと
2列の小気味良い柱が歩くとリズムを刻みます。

サン・テチエンヌライ礼拝堂

西のテラスから外を望みます。
ガブリエル門や干潮時ゆえの海が広がっています。
こらだけの岩山と城壁と守りの門をつくればさぞかし、堅牢な要塞であったことでしょう。
じっさい、イギリスとの百年戦争時はこの修道院は攻められなかったとか。

大天使ミカエルさん。
天使の軍団長
ヨハネの黙示録にも登場し、悪魔の象徴である竜と戦いそれを打ち倒します。
4世紀以降、ローマ帝国で浸透しはじめたミカエル信仰は、ヨーロッパへ拡大し、西暦1000年ごろには各地の丘や台地にたつ教会などに建設されたようです。
この修道院の先頭の先には大天使がおわします。
英国との百年戦争の際にも、この山を守り続けたことから、特殊な次元を持つようになり、カトリック教会にとってプロテスタントに対抗できる天使の軍団の意味あいの概念も生まれたようです。
仁王様や十二神将の頼もしさを感じます。
歴史とともにその位置付けも変化する化身の代表例でしょうか。

モンサンミッシェル、やはりただものではありません。


二泊目はモンサンミッシェルの後に、カーンに泊まりました。
10世紀に造られた城壁が残る街です。
観光的にはそう見るところもなかったですが、人も少なく、なかなか落ち着いた街でした。

第2大戦のノルマンディ上陸作戦では、その上陸部から至近距離にあったこともあり、街は壊滅的な打撃を受け、のこったのはこの城壁と向うの修道院のみとか。

夕食に「さくら」なる日本食レストランにはいりました。
外見や内装は立派でしたが、店員や調理しているのは中国人でした。
すしセットにごはんもついたりして、ちょっと味も微妙でしたが、「えせ日本食」としてはなんとか食べれます。










最後はエトルタです。
ノルマンディ地方は風が強く、打ち寄せる波が岩をも砕き、独特の景観が1.5kmもつづきます。

モネやクールベも絵の題材にしたようです。
この街はアルセーヌルパンの作者の生誕地で、この岩は「奇巌城」という作品のモデルにもなっています。

最後に断崖に駆け上がりました。
白い断崖に緑の台地、風がさわやか。
豪快な景色。
久々に自然の悠久の歴史や偉大さを考えます。
ここなら、もう一度来て、どこかに宿泊して、 波のざわめき、満点の星空、と戯れてもよいか。

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