【山スタイルと恩師】

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■私版「山がくれた百のよろこび その3」■
山歩きに目覚めたのは、高校のワンダーフォーゲル部に入ってからです。
父親はハイキングが好き(今でも街の“山歩き会”に参加していますが)で、小学校のときは毎週のように、近畿の山に連れていってもらいました。
その時は、ついて行くだけだったので、なにも考えていなかった。
だた、歩いて、どのかの山頂に登って、昼飯を食べて、また下って。
でも間違いなく、なにかに魅力があったから、文句も言わずに着いて行ったのでしょう。

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高校のワンダーフォーゲル部では、鈴木先生という顧問でした。
地理の先生でしたが、地質や地層だけでなく、歴史、文化など幅広い分野で知識が豊富な方でした。
山に関して博学なことはもちろんですが、その華奢な体と飄々とした態度や言葉からは計り知れない、 エネルギーを内に秘めた方でした。
 近畿の山は歴史が深いこともあり、麓にには必ず、神社仏閣や遺跡や古道があります。
下山時に、そんなところに寄っては、建築や仏像の見方、そのまつわる歴史などを教えていただきました。
その当時は、そんなことに興味はあまりなく、たいていは馬耳東風でしたが。


月例会と称して毎月、近畿の山を歩きましたし、夏休みには高山にも連れて行ってくれました。

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1年生は乗鞍岳、2年生は戸隠山、3年生は八ヶ岳(赤岳)だったと記憶しています。
乗鞍では、野麦峠の民宿で一泊しました。
先生の推薦もあり、「ああ野麦峠」小説を読んで映画もみたうえでの訪問でした。
この峠についた時の感慨、そこから仰ぐ乗鞍岳、山は歩くだけでなく、そこを通る道には“人の物語゛があることを学びました。

なによりも一番の思い出は八ヶ岳でした。
乗鞍同様の山頂から見る濃い紺色の天空、宇宙に近づいたと思う瞬間でした。
山頂から下山して、麓の八ヶ岳公園道路(工事中)を、そこをひたすら歩いて、野辺山へ着いたことはもうへとへとだった ことを憶えています。
それをその先生は、鼻歌を歌いながら、最後まで歩かれていました。
そんな屈強な体でない、どちらかといえば華奢な方だったのです。歩き方を心得ていたんでしょうね。
翌日は、野辺山から飯盛山へ登り、八ヶ岳を鳥瞰しました。
昨日登った山頂、歩いた麓、見事に美しく雄大な裾野、 この八ヶ岳南部を鳥瞰できるこの景色、私の中では 日本一の景色なのです。

歩き方については、ご自分の考えがおありのようで、訓練と称して部員ががザックに重石をいれて、学校の階段を上り下りしている時も、 先生は「そんなことする必要はない。(歩き方を工夫せよ)」とよくおっしゃっていました。

かように、この先生は博識で、山歩きが好きで、体力に物言わすピークハントだけでなく、山全体を楽しむ術をお持ちでした。
残念ながら、その先生は私が大学生の時に、他界されました。
でも、スタイルが今も、私のDNAとして、私の“山の楽しみ方の原点”であります。
大学もほつぼつと山歩きは昔の仲間と続け、 社会人になってからも、アルプスもいくつか歩きました、それなりに山に関することは分かったつもりですが まだまだ、“山を楽しむ”境地には達していません。

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