松島と七ヶ浜町復興支援ボランティア

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仙台に行ったら、一度は復興支援ボレンティアをしたい、(一方で)一度は松島を見てみたいと思っておりました。
2012年5月29日-31日の仙台出張にからめて(お休みを頂き)、仙台に居残り、この二つを同時に実現することができた!
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仕事で復興支援はありますが、個人での復興支援ボランティアは初めての経験でした。 参加したのは松島の隣街の七ヶ浜町にある 「七ヶ浜町復興支援ボランティアセンター」です。
平日はいつも150人程度、土日は300人を人を募っています!!!
この日(6月1日)、153人もの人が集まっていました。 
そのエネルギーがすごい。 8〜9割は会社からボランティアできており、残りは個人参加です。
京都からのボランティアツアー(バス)、東京から夜行で来た若者、家族連れ、地元のおじいさんなど顔ぶれは様々でした。
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この町は半島状になっており、海岸沿いの町やその奥にある田圃も津波の被害を受けてしまいました。
ここのボランティアの主な作業は、旧田圃の土起こしと埋まっている細かい瓦礫の除去作業です。まさに人海戦術、これは人がいります。
シャベルで土を掘り起こし、掘り起こした土くれを細かく刻み、住宅の瓦や壁の破片・木くずなどを拾い集めます。
時には、ぼろぼろになった人形や写真のアルバムなどが出てきました。土の中にこんなののがまだあるのかと驚くばかりです。
農家の方にもご挨拶されていました。明日(6月2日〜)からこの地に大豆を植えるそうです。

「大豆が出来るころにまたこの田圃にきてください」との呼びかけに、一同 きっとまた来ようと思ったことでしょう。
一人の力には限りがありますが、人が増えれば、すごい力になるな〜と実感した一日(9時〜15時)でした。

予定より少し早く終わったので、菖蒲田浜(七ヶ浜の一つ)という美しい海岸へ連れて行ってくれました。
なにげない風景に見えますが、ここには15m以上の津波が来ました。
 半島を挟んだ反対側は松島なので、その湾内ならば多少津波はおさえられたようですが、ここは外洋に面しているので、防ぎようがありません。
写真の左側には松並木と民宿やペンションや住宅が並んでしました。いまは松並木が半分となり、住宅は土台だけです。
浜も90cmの地盤沈下があったようです。もっと海まで砂浜がつづいていたんでしょう。
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さて、
歩いた山は「大高森」という、奥松島と呼ばれるエリアの北はずれにあります。七ヶ浜町の北側です。
松島、四大観望地の一つ。壮観、麗観、幽観、偉観の内の、“壮観”と呼ばれる絶景の地。
登山道は海岸にあり、海抜ゼロメートルがスタートです。
この図だとどんな高山か!!??と思いましたが、標高は105.8mです。
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道は整備されおり、 地質は砂岩や礫岩なので、もろくところどころで、綺麗に削ってできた(削られた)道もあります。
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でも、新緑のプロムナードを歩くとやはり気持ちが良い。
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さて、ほどなく山頂、松島のかっこよい“松”が展望台を囲んでいます。
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展望はもちろん、最高です。夕刻の為か、誰もいません。

松島は260余りの島々から構成されています。成り立ちはたいへん興味深い。
そもそもは、仙台の東端の松島丘陵が海に沈みこんだ沈降地形で、リアス式の海岸でした。
さらに、過去からの大きな地震の毎に沈下が続き、溺れ谷に水が入り込み、山頂部が島として残った多島海と呼ばれる地形が形成されました。
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岩質は砂岩や礫岩なのでもろく、波打ち際は波に浸蝕され、奇岩も多いわけです。
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今回の地震でも、入り組んだ地形がゆえ、津波が押さえれれ、他地域に比べれば被害が少なかったようですが、
でも麓はやはり、遊歩道は破壊され、建物は壊れ、お寺のお墓はなぎ倒され、私の目には相当な被害があったように見えます。
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<南側の多門山:ボランティアリーダーがここも連れて行ってくれた>
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松島は夕日や朝日が有名ですが、月見も有名のようで、松尾芭蕉やアインシュタインも月見を目当てに訪れています。
「松島や ああ 松島や 松島や」(芭蕉でなく)狂歌師の田原坊の作ですが、芭蕉がその美しさに絶句したのは事実のようです。
そんな、著名人が絶句する風景は、自然の驚異の積み重ねの結果なんだ、と一人で夕日に照れされる多島海を眺めておりました。

皆が平和にこの松島で月見などできるのはいつのことでしょう。
そんな日が一日でも早く来るようにと祈りながら、新幹線へ飛び乗りました。
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