山の絵

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■私版「山がくれた百のよろこび」18■

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珍しく、絵をリビングに飾ってある。
「秋彩涸沢」小暮真望。正確にはシルクスクリーン技法という手間のかかる版画の様なもの。
いままでは自分の眼で見て、印象深い風景を、写真として撮っている。
美しい写真が取れても、どうがんばっても、自分で体感する景色には敵わない。
写真、この年の涸沢の紅葉は感動した!どうにも写真では表わせれない感動。
でも絵はどうだろう。
自分の眼とは違う、芸術家の視点でその風景を眺めて、見て感じたことを作品にしている。
その作家が見て感じた世界、それを一枚のキャンバスに表現したものに感動する。
この絵はまさにそうだった。自分が見た世界と近いのもあるが、それ以上のなにかがある。
秋の彩、空の青さ、風、匂い、3,000m級の山岳地帯のヒンヤリした空気感、
他人には分からないが、自分にだけ分る、
そんな絵。

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「早春の響き」今野忠一
絵は、大英博物館の階段の踊り場に飾ってあった。
絵の奥に白い峰(月山)、スペースの殆どを暗い断崖と白い一筋の滝が流れている。
早春、雪深い山からの雪解け水が、谷へ、まだまだ冬の閉ざされた山の象徴でもある厳冬期の断崖へ、一筋に流れ落ちる様。
白と黒、厳冬と早春のコントラスト。
題名からは暗から明への幕開けを感じるが、絵から受ける印象は、それ以上に精神性が高く重厚だった。
そんな、すごくインパクトのある絵だった。

それと似た感じが、実体験でもある。白山の岐阜県側登山口近くにある大きな滝。
飛騨の山奥、遥か遠くにこの滝を眺めた。更に奥に霊峰白山があって、雪解け水を集めて、あそこで滝となる。
この滝は山を削り谷を造り、断崖を流れ落ちる。
なにも聞こえない静寂さ、浪々と滝の音だけが、遠くに谷に樹神(こだま)する。
季節は新緑、躍動的な緑と滝にはすごい生命感が溢れている。
でもなぜか、「早春の響き」を思い出した。
滝という共通の事象を通じて、その重厚な精神性を無意識に感じたか。不思議だ。

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秋に観た爺が岳と鹿島槍。
手前の秋の稲穂の黄色、麓の緑、岩稜の白、特徴のある山頂部、優美な曲線が印象的だった。
麓から山頂まで眺められる風景にはなかなか出会えない。いつか歩きたいなあという羨望が沸き起こる。

絵は、「春園」小暮真望 というもの。まさに自分の眼でみた構図に同じ。
カタログで眺めているだけで、まだ、実物は見ていない。
秋と春、季節が違うが感じる景色は同じ。これもお気に入り。
やはり、その時の作者の感性と自分が感じたものがシンクロしている。
いつか、この風景を眺めながらあの山を歩こうっと思う。
歩いた山は美しいという。そのあとにこの絵を実物を眺めてみよう。そんな風に思わせる絵。

絵は不思議だ、写真とは違う 視点で人の感性に激しくやさしく触れてくる。
今更、絵とは、面白いと思う。

2020年4月26日[記]

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