銀河鉄道の夜

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宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を何十年振りかで読んだ。
彼の故郷である花巻の山の中の温泉で読んだ。

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久々に涙した。

ケンタウル祭のジョバンニの孤独に共感したか
カムパネルラの特別な切符に未来を予感したか
この山の岩手・花巻の温泉宿が、宮沢賢治の生涯に思いを馳せたからか

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それにしても、“銀河鉄道”は発想が豊かでないとできない。銀河を列車で旅して、さまざまな出会た人々の中に次々に生きる意味を発見していく…そんな発想。

空の無い東京ではもちろんダメで、夜空が大きく見えないと、夜は星を眺める環境がないと、
宇宙の理解、星座の知識も揃い、更には人生への深い洞察がないと、この物語は出来ない。

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   一説では、20代の頃、盛岡高等学校の後輩である保阪喜内さんと、登山をして山の上で、夜通し共に語りあった体験が色濃く反映しているらしい。
山の夜、夏だろう、満天の夜空と天の川(銀河の中心)を見て、人生を語りあったに違いない。

自分にもあった、学生時代のあの日の夜を思い出いだす。
寒くない夏の夜に、静かな星空を眺めて、親友と人生を語った。
学生だからまだまだ浅いが、素直になる自分がいて、会話が実に正直だった。故に、今でも心に残っている。
その親友に「お前もそうだたっだろっ」って言いたい。
なにがそうさせるのか、自然に抱けれると素直になるのか、
余計なシガラミや、利害や打算…そんな物を忘れて、そこには“裸の自分”がいる。

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「天気輪の柱の丘」はきっと山の頂で、親友と語り合った山の頂に違いない。

この物語の好きな処は、
カムパネルラの自己犠牲の精神と、夢でみた銀河鉄道の旅の意味合いに気が付いて、ジョバンニが新しい生き方を見つけたエンディング。

今思えば、あの夜もそうだったかも知れない。人生の分岐点…銀河鉄道の夜には敵わないが。
そんな事が共感して「久々に涙した」に違いない。
2019年11月29日[記]

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