琵琶峠の物語

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その峠は中山道にある。美濃地方、大湫宿と細久手宿の間の峠、標高558m。美濃16宿の中で一番高い峠で難所だったらしい。

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東海道は海沿いを、中山道は山の中を通り江戸と京都を結ぶ。草津追分以西は東海道と道を共にする。江戸から草津までは129里10町余(約507.7Km)あり、67箇所の宿場が置かれた。
中山道は、東海道と比して距離にして40km、宿場は16多かったらしい。
山道で険しく、冬は雪などで、一日の歩く距離は相対的に短くなるのは想像に難くない。
この琵琶峠辺りには、中山道では珍しく当時の石畳が700mほど残っており、当時の雰囲気が色濃く残っている。
今は植林地帯になっているが、当時は落葉樹が多かったことだろう。
冬は冬枯れ、春の新緑、秋の紅葉、その中にこの石畳があっただろうと想像しながら歩く。

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一里塚も残っている。「八瀬沢一里塚」。
ほぼ完全な形で道の両サイドが残っているのは珍しいらしい。
「塚」なので、土を盛ってあることに気が付く。大きな平らな石もあって旅人が休憩したに違いない。
江戸時代は、一里塚では定番のエノキなどが植えられて、遠くからでも見えただろう。
まさにマイルストーン。一里塚。
日本語でも英語でも、目標に向かっての目安の指標であるこの言葉はまだ生きている。

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今日は観光客もなく、静かな峠。江戸の石畳を踏みしめながらゆっくりと峠に向かって歩いていると
ガサガサと人がゆっくりと歩くような音がする。
顔を上げるとニホンカモシカがいた。
10年振りに遭遇。出会うときは山の中に心静かに佇んでいる時。
距離にして5m程度、お互いにびっくりして見つめ合う。
なんというか、いわゆる獣(けもの)の匂い。
じ〜とみられると心の中まで見透かされているような、そんな瞳。野生の眼。
もののけ姫の一シーンを思い出す。
ひとしきりで、ゆっくくりと森の奥に去っていった。

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琵琶峠、標高558m。
今は、当時はなかった展望台がある。東の方向が開けていて美濃の山々が良く見える。
琵琶峠の由来は、昔、京都へ琵琶の修業に出ていた法師が、修業がままならず、失意のうちに帰国する際、この峠に吹いて いた松風の音で奥義を悟った事に由来するそうらしい。
松の木の下ではるかな故郷を眺めただろうか。
悟って都に踵を返したか、故郷に戻ったか・・・

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もう一つの物語。
第十四代将軍に正室として嫁いだ和宮様の一行は中山道を通った。
和宮様といえば、仁孝天皇の第八皇女、政治的な駆け引きの中で将軍家に嫁ぐことになる。
「東海道筋では河留めによる日程の遅延や過激派による妨害の恐れがあるとして中山道を利用。行列は警護や人足を含めると総勢3万人に上り、行列は50km、御輿の警護には12藩、沿道の警備には29藩が動員された」(ByWikipedea)
京都から43里半・・・江戸まではまでは90里半。

峠には、和宮様の歌碑がある。「 住み馴れし 都路出でて けゆいくひ いそぐともつらき東路のたび 」
ご一行は、峠を下ると京都から20番目の「大湫宿」があり、そこにお泊りになった。江戸へはまだ47宿か。

街道は様々な人が往来し、それそれの峠には物語がある。

2022年1月30日[歩き] 2022年2月5日[記]

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