あの日あの時 2014年夏
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あの日あの時〜2014年夏
2014 年8月23日(土)大学のサークルの親しい仲間と大学を久々に訪れる企画があってそれに参加しました。
あえて、なつかしのいつもの通学ルートで、いつもの席にすわって・・・
バスから高台に鎮座する大学の建物をみたときは、その風景の変わりなさが、あまりに懐かしく、涙が出そうで。(笑)
大学の北側や東側は開発されて、モノレールも走っており、それを使う手もあったのですが、敢えてそれは使いません。
母校は静かに我々を迎えてくれました。
この日は休校日、建物の中には入れませんでしたが、入口のガラス越しに授業棟を覗きみです。
学生課が生徒への連絡用に使う掲示板もそのまま。
私は一年留年をしているわけですが、その”通達”がこの掲示板であったことを瞬時に思い出しました。
あの紙、あの文字まで!
視覚とはおもしろいもので、その風景に出合うと、そんなことまでフラッシュバックのように思い出すなんてびっくりです。
もう30年ほど昔の話。 なにかをきっかけに記憶の引き出しが引っ張り出され、まるでその日のように詳細に思い出すという体験を初めてしました。
バス亭もあまり変わっていません。
最寄駅から30分、ここがその路線バスの終点です。
基本はバイク通勤、月に数度しか使いませんでしたが、これまた懐かしい。
入学した年に男女比が逆転され、どんどん女性が多くなっていった時代です。
当然、バスの乗車比率は女性の方が多く、気になる女性などいようものなら、どきどきしてバス亭にならんでいたものです。
これも、今は昔 (笑)
学生課や食堂へと人の行きかう階段は、通称「墓石階段」と呼ばれていました。
普段の昼食時、暇なとき、学際で、皆が使った階段です。
大学そのものが山中にたっていたので、下への食堂へ行くこの階段は急で最後がロートのように狭まりますから、人の密度が濃かった。
ここも思い出はたくさん。
日本人学生数の割に留学生比率が高いので、所属するサークルは”留学生との交流を深める” サークルでした。
諸先輩からの伝統でしょうから、サークル内の中の雰囲気はたいへん良かった。
今日、こうしてきている女性達もそのサークルの仲間です。
いろんな企画がありましたが、大学の裏手の谷へいって小川のほとりでバーベキュウするってのもありました。
こんな柵をこえて、みちなき道を谷に降りていき、小川のちょっとしたスペースで肉を焼くって感じ…
今なら、絶対にしないでしょうか、当時は思いついたらなんでも実行しようという自由闊達な雰囲気とそれを実行してしまう先輩がいた。
たのしい思い出です。
サークルですから、部室などなく、顧問の教授の部屋の半分を貸していただき、そこでの活動をしていました。
その教授の部屋からも、この中庭や墓石階段がみえました。
その部室には、時間があれば、いつも入り浸り。授業クラスよりこの部室にいた時間の方が長いかったかもしれません。
世界の文化、日本語の研究から下世話な話まで、話題はオールラウンドにわたり、今思えば とてもよい会話の鍛錬の場だった。
こうやって時々、気の置けない仲間とあって、”昔話に花が咲く” …それが懐かし楽しい年齢になったのだな〜としみじみ。
建物が少し増えましたが、昔の姿そのままのこの大学。
一緒にいった彼女が言ってました。
「あまり変わっていないことに驚き、何十年たってもそのままなんて、私たちがいなくなっても、この大学はなにもなかったようにこの地にたってるんでしょうね」
風が吹いていました。ここは山からの風が吹くのです。
目をつぶれば、その風は、またはるか30年前の風と同じでした。 まったく同じ風。
そうだ、この建物の間はこんな爽やかな風が吹いていたな。 やはり来てよかった。
完全に学生に戻った瞬間でした。
ぐるっと一周をしてメインキャンパスに戻ると、中庭の樹木が成長していることに気が付きました。大きく大きく枝を広げ、中庭を覆っています。
建物は変わらないが、樹木は成長しているんだな〜〜 ・・・
それを見たとたん、時間が一気に25年以上の時を超え、現在(いま)に戻りました。
<2014年8月24日(記) 2016年2月7日(改)>
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