あきる野 河岸段丘

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■河岸段丘の成り立ち…山の自然学クラブ■
2018年3月31日 in あきる野市 日本自然保護協会 辻村千尋先生

東京の奥、武蔵野の西のはずれに「あきる野」がある。
多摩川の支流である秋川が流れ、縄文時代から人が定住していたこの地。典型的な河岸段丘。
写真は二宮神社の桜の大木、ちょうど満開を迎えていた。

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歩いた辺りの国土地理院電子地図と断面図。一目で典型的な河岸段丘であることが分かる。
二宮はその河岸段丘の最上部(秋留原面)に鎮座なさる。

そもそも、ここの河岸段丘は「気候段丘」と呼ばれ、間氷期は水流により削られ、氷河期に土砂がたまり…その繰り返しの結果、この平面と段差があるらしい、壮大な歴史の産物。

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最上部の二宮神社は南側に急な階段があり、この高さが約10mあまり。
これが、段丘面が変わるの一つ目の段差になる。
なにげに下る段差は、氷河期と間氷期の時間差でもある。ある意味すごい。

下った先は、小川面という段丘面。そこには「お池」がある。湧水池。

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写真の通り、とても澄んでいる。
砂礫地を通って水がここに湧く。
水を通さない粘土層(難透水層)が下への透水を阻み、ここに出てくるらしい。
水があるということは、人が住めるということ。
この面には「前田耕地遺跡」という縄文時代の集落遺跡が発掘されている。
近くにチャート(固い)岩があり矢じりや武器も作っていたよう。

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住宅地をひたすら進むと、秋川の氾濫低地(河原)の直前にまた崖がある。
ここにも、ちいさい湧水、樹木の根っこから水がひたひたと流れている。
この規模は小さいが、理屈は「お池」と同じ。
この小川面にたくさんの宅地が開発されているが、住人は自分の土地の成り立ちを分かっているだろうか。
川の近くに住み人は、神社や遺跡やきれいな池をチェックして、なぜそこにそれがあるのかを考えて住むことは、とても為になるし、大事だと改めて思う。

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長らく歩いて、やっと秋川に到着。
写真に堤防があるが、左側が一部が切れている。
霞堤(かすみつつみ)と呼び、川が増水して堤防が決壊する前に水を逃がす場所らしい。
増水した水を引き込み、上流からの肥沃な土砂を取り込み、本流の水が低くなってくれば、また水が流れこむような仕組み。
なるほどねっと、人の知恵はすごいね!
別名、武田信玄が始めたので?信玄堤?とも呼ばれるそうだ。

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最低部が秋川。
端の上から何気にみていたら、先生が「この前の台風で相当増水したな、葦が下流に向かった倒れている、あの堤辺りまで迫ったかも…」
先生はずっと解説していただき、すべてが勉強になっているが、
なるほどね、河原にもそんな見方があったのか! 視点が、実に興味深い。

下段段丘の成り立ち、人との関わりの体感、とても良い勉強会だった。
きっと、れからの自分の活動に大きく影響することだろう。


<昼食場所は秋川沿いの桜並木の下>
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